家康は、今川一門の有力家臣・関口氏純の娘・築山殿と結婚している。築山殿の母は義元の妹とされ、つまり義元の姪と結婚したのだ。こうした待遇は、「普通の人質ではありえない優遇ぶり」と小和田さんは続ける。

「家康は元服のときに義元から甲冑を贈られているんです。人質の元服に甲冑を贈るのはありえないこと。さらに義元の『元』の字をもらい、家康は元信、その後は元康と名乗ります。殿様の一字をもらうというのは重臣の扱いです」

 加えて家康は義元の軍師である太原雪斎から勉強を教わっている。義元の軍師から直接手ほどきを受けるというまさに特別待遇だ。義元がここまで家康に目をかけたのはなぜか。

「家康の器量を見極めて、嫡男である氏真の右腕にさせたいという思いがあったのでは。もし桶狭間の戦いがなく義元が健在だったなら、家康は三河の岡崎城に送られ、対織田の最前線として働かされていたでしょう。義元との出会いととりわけその別れは家康の人生において大きなターニングポイントであったと思います」(本多さん)

 家康が義元から学んだことは多い。小和田さんは言う。

「義元の国づくりの考えに加えて、補佐役の重要性も学んだでしょう。義元にとって雪斎の存在は大きかった。桶狭間の戦いの5年前に雪斎は亡くなりましたが、健在なら戦の結果はどうだったか。家康もまた酒井忠次、石川数正、そして本多正信と補佐役を重用していました。この姿勢が成功者の秘訣だと思います」

 白塗りに書き眉、公家かぶれの今川義元像はもう古い。(本誌・秦正理)

■テレビ画像の高精細化で「風俗考証」もより重要に

 時代劇や歴史ドラマで、登場人物の言葉や振る舞い、ストーリーの流れが史実から外れていないかを考察する「時代考証」。そのなかでも衣装や小道具などの美術に関する「風俗考証」を、大河ドラマで数多く担当してきたのが立正大学教授の佐多芳彦さんだ。

「時代考証は史実をきっちり追い求めていくことだと思います。グレーゾーンがあれば、そこに新たな物語を推測してつくる。ストーリーのカギを握っているのは時代考証の人たちだと思いますが、その脚本の内容をどうやって目に見えるカタチにするのかが風俗考証である僕らの仕事なのです」

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