芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、心筋梗塞直後から退院までを明かす。

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 昨年の7月8日、安倍晋三元総理が襲撃された6時間前に、僕は強烈な苦痛に襲われた。朝の5時頃だった。トイレから出た途端、胃が苦痛と共に胸の方に突き上げてくる衝動に思わず冷たい板間に倒れてしまった。かつて経験したことのない苦痛だった。突然のことだったので、自分に何が起こったか、さっぱりわからなかった。ただ、この強烈な苦痛から逃れるためには、死んでしまった方が助かると思った。このまま生き続けるより、死ぬ方を選びたいと思った。だからか、不思議と死の恐怖はなかった。

 あとで知ったのだが、全ての苦痛の中で心筋梗塞がNo.1だそうだ。早朝にもかかわらず事務所の徳永と救急車も駆けつけ、指定の病院に向かった。ここから先は意識があるものの、このあとにどのような処置が施されるのか、全く、頭が働かない。救急患者の受けつけから、控室に運ばれたらしく、妻と徳永が若い先生の説明を受けているが、難聴の僕には何ひとつ理解できない。そんな先生との3人の会話の横で、看護師さんがやってきて、突然尿道に管を挿入すると言った。手術中の尿の処理のためらしいが、僕には何のことかさっぱりわからない。その処置の苦痛というか気持ちの悪さは想像を絶して、言葉にならない。一体何が始まるのかわからないまま、この後に大変な施術が待機しているらしいという予感だけはする。

 やがて手術室へ向かうストレッチャーに乗せられて、運ばれることになった。ここから先はコロナ禍のため面会謝絶らしい。その時ストレッチャーと並走しながら妻が、顔を近づけながら、無言でニッコリ笑って手を振るのだった。手術室に向かう夫に満面の笑みを浮かべて、顔の前で手を振っている。普通ならとり乱してオタオタしてもおかしくないはずの妻の表情に僕は不思議と安堵感のようなものを感じた。あの振る手は、「バイバイ」とこの世の別れとも、「See you soon」(あとで会いましょう)とも取れたが、この時点で、急性心筋梗塞かどうか、わかったとしてもそれが何なのかさっぱり理解ができなかった。

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横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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