ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「原由子さん」について。

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 近頃は奥さんのことを「嫁」や「家内」などと呼ぶと各方面からお叱りを受けるそうです。ゲイの世界でも一時期、自分の彼氏を「ヨメ・ダンナ呼び」するのが流行っていましたが、今も昔も私には関係のない話ではあります。

 確かに「嫁」は、家単位における立場を示す言葉であり、嫁いだ先の親が「我が家の嫁」と呼ぶのは間違っていませんが、夫が自分の配偶者を指す時は「妻」が正しい日本語です。いずれにしても、女性特有の呼称(看護婦・スチュワーデス・保母など)がどんどん使えなくなる中、「嫁」もその対象になりつつある流れは理解できなくもありませんが、代わりに「パートナー」だの「ワイフ」だの、片仮名言葉で誤魔化すぐらいなら、堂々と自分たちの言語を使い継いでいった方が文化的にも民度的にも良いと思うのは私だけでしょうか。

 一方で、人の「妻」を第三者の側から表す「夫人」という言葉は、特に何の規制や抗議もない状態で今も使われています。「夫人」にはどこか「妻の座を得た誉れ」的な響きがあるため、女性蔑視と取られる機会が少ないのかもしれません。だからなのか日本人は「夫人」という言葉に滅法弱い印象があります。「○○夫人」と紹介された途端、自動的に地位や格をその人に見出しがちです。

 現代日本において、「夫人エレメント」の高さを問われたら、やはりデヴィ夫人の右に出る人はいないでしょう。貴族・華族階級が廃止されて以降、日本における「夫人」の水準は彼女の存在によって保たれてきたと言えます。同時に「夫人」の概念を、極めて曖昧で幻想的にしたのも彼女かもしれません。

 歴代のファーストレディーたちを「夫人呼び」する慣習も、「夫人」の格を高めている大きな要素です。中でも「昭恵夫人」は、「夫人・オブ・総理夫人」として後世にも語り継がれていくことでしょう。ほかにも、今は亡き野村克也さんの「沙知代夫人」、落合博満さんの「信子夫人」、石原裕次郎さんの「まき子夫人」、坂本九さんの「由紀子夫人」などは、夫人としてのプロフェッショナリズムを感じさせてくれる人たちです。最近だと工藤静香さんを敢えて「木村拓哉夫人」と呼んだりするのにも、一種の「萌え」を覚えます。

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ミッツ・マングローブ

ミッツ・マングローブ

ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する

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