こうした司馬作品の根底にあるのは「ユーモア」だと洋行さんは言う。たしかに土方は剣に生きるが、下手な俳句作りに余念がないし、モテモテの竜馬は女性陣から逃げ回る。『坂の上の雲』の秋山好古の酔いどれロシア偵察旅行、正岡子規と秋山真之の無銭旅行など、緊迫した大作でも必ずクスッと笑わせる。

「偉業をなし遂げた歴史上の人物も全部が大真面目なわけはなく、喜劇的なところがある。資料を読み尽くし、俯瞰(ふかん)し、生身の人物を感じ取ったときに、はじめて小説ができると、司馬遼太郎は言っています。『峠』の河井継之助も、継之助を看取った松蔵の思い出を持つ家刀自を知り、継之助像が浮かび上がってきた。AIや仮想現実があふれ、スマホに熱中する姿を見ると、自分だけの世界に没頭して大丈夫かしらと思います。人と人との接点が少なくなっているいま、若い人にも読んでもらいたいですね」

『花神』の大村益次郎は語学や軍事学の天才だが、朴念仁で、愛想のかけらもない。

「もし大村益次郎が『花神』を読んで、『これは自分とは違う』と言っても、『自分のほうが知っていると言える』と司馬遼太郎は言ってました(笑)。大村益次郎はもちろん自分のことは知っているけれど、周りに自分の言動がどう伝わっているかは知らない。後世の資料をしっかりと読んだ自分は知っている。だから『大村益次郎さん、そうじゃありませんよ』と言えるんだと」

 火吹達磨(だるま)もびっくりだろう。最後に洋行さんは司馬さんの先見性を語った。

「親しい映画記者と『キネマ旬報』で昭和40年春に対談しています。映画業界はこのままではジリ貧だとし、これからの映画館に必要なこととして、複数の映画を上映し、好みで選ぶことができる劇場があったらいいとも言っています。これ、シネコンですね」

 先見性は『街道をゆく』にも通じる。

「取材した時代と今の風景は変わっている。しかし色褪せるかといえば、『街道をゆく』を読んで旅をすると、現場がふわっとわかる。歴史的、地理的な環境を押さえ、人びとの輪郭、原形をしっかり書いてますから、古びないと思います」

『街道』もあったか。やっぱり選ぶのは難しいかもしれない。皆さん、悩んでインターネット投票なさってください。(本誌・村井重俊)

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