作家・比較文学者の小谷野敦さんが『私の顔は誰も知らない』(インベカヲリ★、人々舎 2420円・税込み)を読んだ。
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インベカヲリ★は、写真家である。募集に応じて来た女性たちの、ちょっと不気味な感じの半ヌード的な写真を撮っており、『やっぱ月帰るわ、私。』や『理想の猫じゃない』といった写真集を出し、木村伊兵衛写真賞候補になり、ニコンサロンで伊奈信男賞も受賞している。その一方、人物ルポルタージュも執筆し、2013年に私は共著『ノーモア立川明日香』の書評をしている。さらに昨年は、新幹線内で無差別殺人を行い無期懲役になった男に取材して『家族不適応殺』を上梓し、大宅壮一ノンフィクション賞の候補になった。写真が本業なのになぜこんなに文章がうまいんだろうと思ったら、子供時代から大量のノートに思うことを書きつけ続けてきたというから、なるほどと納得した。
この本は、『家族不適応殺』に関連したルポと同時に出たエッセイ集で、おおむね女性論である。冒頭に、女性は周囲に合わせて擬態しているというこの本の主調音ともなるエッセイが出てくる。
私は大学院生のころ、東大の女子院生から、子供のころ作文を書く時は、どう書けば大人に受けるか、こういうところで泣かせるということを分かって書いていたと言われてちょっと驚き、女の優等生ってすごいなあと思ったものだ。大人になってもその能力は発揮されて、大学でも会社でも筆記試験をやると、女のほうが、自分が書きたいことではなく相手が求めていることを察知して書くから、実は上位は女ばかりで、そのため企業などでは男にゲタをはかせて採用していると聞いたことがある。さる医大で問題になったことだが、私はそれを聞いて、上の意向を察知してそれに迎合する人ばかりでは良くないから、そういう措置も必要なんじゃないかと思った。そうなると筆記試験で成績のいい女性を落とすことに合理性があることになり、何がいいことなのか分からなくなる。