横尾忠則
横尾忠則

 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、行きたい時代について。

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「いつの時代にも行けるなら、過去、未来、どちらに行きたいですか。それとも特定の過去の時代がありますか」というのが今週の課題です。現代以外は僕にとっては半ばフィクションです。そこで先ず未来を予想すると、明るいビジョンは描けません。文明の究極の進歩は破壊しか想像できません。現在のロシアとウクライナの戦争は未来を現在に引き寄せた結果のように思えるのです。いくら文明が進歩しても人間の戦争好きというDNAが存在する限り未来は暗いです。だから現世の未来よりも来世の未来の方がよっぽど興味があります。全ての人間はほっといても来世という未来に行くことになっています。しかし来世の未来にも天国も地獄もあります。どちらに行くかは自分の中のエンマ大王が決めます。天国に行きたければ今生の現在をそのために習練するしかないでしょう。

 では、過去ならどの辺の過去に行きたいか、ですね。今生の過去なら、そうですね、僕なら、実の両親から離れて養父母に貰われた時期に遭遇してみたいと思いますね。その頃の記憶は全くありません。戸籍では4歳で養子になっていますが、4歳では物心がついているので、実際はそれ以前だと思います。実の親から養父母に手渡される時の僕の気持がどのようなものであったのか、その時の自分を見てみたいと思いますね。

 現世で行きたいというか、目撃してみたい過去は前にも書きました。美大の受験を先生に断念させられた時にもう一度タイムトラベルして、先生に抵抗して受験をしてみるというのも運命転換の実験としてはかなり面白いパフォーマンスになるのではないかと思います。つまり、もうひとつの人生を選択するということです。でもこれが実現したとすれば、その瞬間からファンタジーの世界に生きることになるでしょうね。

 さらに、もうひとつうんと昔の過去に戻ってみたいとすれば、前世ですね。今生以前の過去世ということになります。このことは輪廻転生を肯定しなければ想定できません。魂がこの地上に降臨(なんていうとまるで宇宙から飛来した魂のようですが)して今日までの転生は一度や二度ではなさそうです。何百回という回数が想定されます。

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横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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