林:そんなことがあったんですね。先生、お書きになるのは大変な仕事ということは、重々理解していますが、それでも先生の作品を愛読する者のひとりとして、もう一回原稿用紙の前にすわっていただけたらと……。

佐藤:そうねえ。でもね、もう書かないというより、書けないんですよ。肉体が動かなければ書けないのが当たり前なんだけど、例えば口なんかはペラペラしゃべるから、元気そうで書けると思うらしいのね。だけど、口で書いてるんじゃない。簡単にわかりやすくいうと、アタマと手で書いているんだから。林さんなら、おわかりと思うけれど。集中力がなくなったらダメ。そんなこといわないで書いてくださいよ、っていわれるけど、簡単にいうなっていいたくなる。それで書くのを断念することになったんですよ。

林:そうだったんですね。

佐藤:体が思うように動かなくなったら、我々凡人はもう死んでもいいわ、と受け入れる気になっていくんですよ。若いうちは、自分の好きなようにいろんなことができるからこの世にいたいわけだけど、何にもできないのにいてもしょうがないでしょう。それで、少しずつ諦めていく。そうやってだんだん死を容認し、迎え入れる気になるんだと思うのよ、人間は。だから死ねるの。うまくできてるのよ。衰えなければ、なかなか死ぬ気になれないでしょう? そう考えると、死ぬのが嫌ではなくなってきたの。98まで生きたらね、すべてつかの間の戯言ですよ。

林:奥が深いお言葉です。私、先生が少女小説をお書きになっていたころからずっと拝読してきました。きょうはその佐藤先生にお目にかかれて、ほんとうにうれしかったです。

(構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)

佐藤愛子(さとう・あいこ)/1923年、大阪府生まれ。甲南高等女学校卒。63年「ソクラテスの妻」で芥川賞候補、69年『戦いすんで日が暮れて』で直木賞。79年『幸福の絵』で女流文学賞。2000年に『血脈』完結で菊池寛賞。15年『晩鐘』で紫式部文学賞。父は作家の佐藤紅緑、母は女優の三笠万里子、異母兄は詩人のサトウハチロー。16年の『九十歳。何がめでたい』は130万部を超えるベストセラーに。そのほか、『気がつけば、終着駅』『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』など著書多数。

週刊朝日  2022年2月25日号より抜粋