佐藤愛子さん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・東川哲也)
佐藤愛子さん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・東川哲也)

 1969年の『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞して以来、『血脈』(2000年、菊池寛賞)や、『晩鐘』(15年、紫式部文学賞)と数々の名作を生み出してきた佐藤愛子さん。作家・林真理子さんとの対談では、借金を肩代わりするも前向きに生きた日々、そして「断筆」後の思いまで。少女時代から作品を愛読する林さんに、ひとつひとつ語ってくださいました。

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前編/佐藤愛子の断筆宣言後 「もっと書け」の声に「簡単にいうな、って怒りたくなるの」】より続く

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林:先生は、お父さま(注:小説家で俳人の佐藤紅緑)の全盛期に生まれて、お父さまは「天使のような子だ」と言って抱き上げて、蝶よ花よとお育てになったそうですね。お子さんのころの写真を見ると、すごい振り袖を着てらして。

佐藤:すごいなんて……。普通の振り袖ですよ。

林:お母さまは女優さんですね。お母さまのことを書かれた『女優万里子』という小説がありますよね。私がすごく好きなのは「加納大尉夫人」という短編で、ドラマにもなりましたけど、戦時中のふつうの女の子の気分を、あんなに正確にとらえた小説はないと思うんですよ。なんの取りえもない女の子が超エリートと結婚するんですよね。その夫が戦死したときの彼女の悲嘆が描かれていて、戦争文学の長編を読むよりも、はるかに当時の気分がわかりました。

佐藤:うれしいわ。私もあの作品がいちばん好きなの。私の友だちがモデルなんですよ。

林:先生ご自身がモデルかと思ってました。さっきのお話にあった最初のご結婚相手って、たしかお医者さんで、ものすごいお金持ちだったんでしょう?

佐藤:ものすごくない、ただの田舎の医院ですよ。

林:2番目のご主人はもっとお金持ちだったんですよね。

佐藤:お父さんがお金持ちだっただけです。息子は使い果たしました。その上に借金ダルマ。

林:ペンネームは田畑麦彦さんですよね。この方、財閥のお坊ちゃま気質で、みんなにお金をふんだくられて、先生だけが怒り狂ってて。それが「ソクラテスの妻」という小説になるわけですね。

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