柄本時生 [撮影/写真部・張溢文、ヘアメイク/住友由香(MARVEE)、スタイリスト/矢野恵美子、衣装協力/CURLY&Co.(The Weft)]
柄本時生 [撮影/写真部・張溢文、ヘアメイク/住友由香(MARVEE)、スタイリスト/矢野恵美子、衣装協力/CURLY&Co.(The Weft)]

 下北沢で生まれ育った俳優・柄本時生さん。幼い頃の夢は、プロ野球選手か宮大工。地元の祭りで神輿を担ぐときに、その中心にいる大人は、決まって地元で代々続く職人たちだった。「あの輪の中に入るためには、宮大工になるのがいいんだ」と思い込んでいた。

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 中学2年生のときに、突然、子役のオーディションに駆り出されたことがある。俳優デビューしていた兄は、当時高校生で、オーディションの年齢制限に引っかかった。「弟がいるらしい」「とりあえず、行ってくれ」と、慌てた大人に頼まれて、「兄ちゃんの仕事関係の人に迷惑かけちゃいけないな」と思い、いそいそとオーディションに出かけていった。俳優をやるつもりはまったくなかった。

「ただ、そのオーディションに受かって、撮影現場で映画の話になったときに、両親の影響で映画は小さい頃から観ているから、スタッフさんたちの話についていけたんです。そうしたら、『お前、その年でそれ観るの?』とビックリされて。大人に認められたことが気持ち良かったので、以来、何となく映画のオーディションがあると出かけていくようになりましたね」

 大して忙しくはなかったが、何となく、俳優の仕事をするようになった。このまま高校を卒業して、俳優を続けてしまったら、職業欄に「俳優」と書くことになるかもしれない。父は柄本明さん、母は角替和枝さん。一番上の姉も映画の仕事に就き、兄の佑さんも俳優業が軌道に乗り始めていた。何となく、このまま俳優を名乗るのは気が引けた。職業欄に「学生」と記入したい一心で、日本大学芸術学部の映画学科を受験し、あっけなく落ちた。

「高校時代は、仕事でいただいたお金は全部親に預けて、月5千円のお小遣いで生活していました。ケータイ代とかもそれで払っていたので、自由になるお金がなくて。18から、地元の居酒屋で皿洗いのバイトを始めたんです。19からは、小田急線沿線で、一人暮らしも始めました」

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