適応障害と診断されたころの雅子さま(2004年)(代表撮影) (c)朝日新聞社
適応障害と診断されたころの雅子さま(2004年)(代表撮影) (c)朝日新聞社

 秋篠宮家の長女・眞子さまの複雑性PTSDとの診断公表は衝撃的だった。振り返れば美智子上皇后は声を失われ、雅子皇后は「適応障害」と、皇室の女性の悲しみは30年経ても続いている。批判報道だけが原因なのだろうか。ジャーナリスト・友納尚子氏が宮内庁のあり方を問う。

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前編/眞子さまの「儀式行わない」意向も、天皇陛下は「朝見の儀」を望んでいた】より続く

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 結婚の正式発表の会見には、皇嗣職大夫と医務主管と並んで、眞子さまを診断した精神科医も同席。病名は「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」だった。精神科医は、その原因について「秋篠宮ご一家や小室さんとその家族への誹謗中傷と感じられることを長期的に体験したこと」だと説明した。

 さらに「誹謗中傷がなくなれば、症状は改善する」と医師は忠告した。

「今回の眞子さまのご病気の発表は、もちろんご本人も承諾されてのことだったと思いますが、慶事の発表に水を差すようなトーンとなってしまいました。誹謗中傷がなくなれば回復すると述べる忠告だけにとどまり、眞子さまが病気と向き合われているご様子やサポート体制について説明されなかったため、理解が得られにくかった」と宮内記者は明かす。「昨年までは眞子さまが精神科医にご相談されていることはなかったようなので、ご結婚間近のこのタイミングの発表となると、眞子さまのご体調は、会見に耐えうるのだろうかと、ますます注目されています」

 皇族が治療を必要とする精神疾患にかかられたならば一大事である。ましてや結婚を控えられている眞子さまとあれば、報道は熱を帯びていっても無理はない。

 皇嗣職大夫が「守りきれなかった」と会見で声を詰まらせる場面もあったというが、宮内記者らは冷静だったという。

 結婚の延期から始まり、婚約者の親族の金銭トラブル、さらに金銭トラブルを説明する文書の発表、結婚一時金辞退、儀式を執り行わないこと、そして正式な結婚発表と同時の眞子さまのご病気公表──。一体、いくつの歴史上初の“前代未聞”があっただろうか。そのたびに騒動はより大きくなった。「守りきれなかった」というが、この4年間で見えたのは対症療法的な宮内庁の対応であり、長期的な視野からの「守りきる」具体的な動きは伝わってこなかった。

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