澤田隆治さん (c)朝日新聞社
澤田隆治さん (c)朝日新聞社
「てなもんや三度笠」のメンコ(西条さん私物)
「てなもんや三度笠」のメンコ(西条さん私物)

「新人のタレントを使うのを嫌がる人もおるけど、ワシは好きやったねえ」

【写真】「てなもんや三度笠」のメンコ

 今月16日に88歳で亡くなった笑芸プロデューサーの澤田隆治さんは、自らのテレビマン人生を振り返って、そう言った。

 確かにそのとおりで、朝日放送社員として演出を担当したテレビ・コメディー「てなもんや三度笠」と「スチャラカ社員」では当時全国的には無名だった藤田まこと、白木みのるらの面白さを引き出して番組を大ヒットさせ、自身も気鋭のディレクターとして注目される。立ち上げに関わった「新婚さんいらっしゃい!」では若手時代の桂三枝(現・文枝)を起用した。

 制作会社・東阪企画社長として東京進出後の1979年10月には毎週日曜夜9時台で演芸やドラマの単発企画を見せる「花王名人劇場」枠をスタートさせ、翌11月の「円鏡vs.ツービート」で毒舌漫才のツービートを、80年1月の「激突!漫才新幹線」で横山やすし・西川きよし、星セント・ルイスという東西の売れっ子と共に若手のB&Bを起用。ここから、ツービートの「赤信号みんなで渡れば怖くない」やB&Bの「もみじまんじゅう!」が流行語となり、間もなく爆発的な漫才ブームが巻き起こる。以来、この番組からさまざまな新人が登場する。

 私は中学生時代から澤田さんの演出する舞台の喜劇公演や番組収録に通い、喜劇に関する著書も愛読していたので、放送作家になったばかりの頃に澤田さん宛ての手紙とコント台本を送ってみた。

 すると早速、連絡があり、89年の秋に「花王名人劇場」枠でコメディードラマの脚本と演芸企画の構成の仕事をさせてもらった。喜んだのもつかの間、朝7時に「台本のあそこのところなんやけどなあ……」と冷静な関西弁での台本の手直しの電話で起こされるなど、コワモテの風貌とズバズバと痛いところを突く演出ぶりから出演者の間で「鬼の澤田」「魔王」と恐れられたという澤田さんの洗礼を浴びている。

 とにかく仕事に関してシビアで妥協を許さない完璧主義。まさに「お笑い界の黒澤明」と言えたが、お互いお笑いのマニア同士で気心が通じたのか、普段は気さくに話せたし、数えきれないほどの番組やイベントの仕事をご一緒した。

 澤田さんが日本喜劇人協会の副会長、笑いと健康学会の会長に就任されると私を理事に、帝京平成大学教授になられると非常勤講師に推薦してくださった。

 晩年まで熱心に若手芸人たちに指導し、笑芸の研究活動を続けた。今月末には遺作となった喜劇役者ルーキー新一の評伝が発売される。

 今年に入って電話で往年のコメディー番組の話を2時間以上もお聞きしたのが最後になってしまった。笑いへの執念を燃やし続けた澤田さんの人生のカーテンコールに心から拍手を送りたい。(江戸川大学教授・西条 昇[大衆芸能史])

週刊朝日  2021年6月4日号