代島:今だとネットのツイッターを使ったりするんでしょうけど。

三田:当時の学生は「ブル(ジョワ)新聞」と朝日や毎日のことを呼び、新聞も「学生の暴動」と書くんですが、紙面では学生が闘う姿を写真に載せ、若者をあおり立てることになっていたと思いますね。それも72年の「あさま山荘事件」でガラッと変わってしまう。

 樺美智子さんが亡くなった60年安保の国会前デモを私は小学6年生のときテレビニュースで見ているんですが、「学生のほうが正しい」という思いを抱いていました。報道もそういうニュアンスでしたよね。しかし、連合赤軍事件のあと内ゲバや爆弾事件が続き、マスコミも「反体制運動」を評価しなくなる。

代島:確かに72年を境にして「社会を変えよう」とする若者たちの運動が終わるんですね。

三田:だけども意外というか、映画に登場する人たちは10代の頃とまったく変わっていない。そのまま老人になっているんですよね。組織を抜けるということはあっても、個人の信念、志は変わらずに生きてきたんだなぁ。「人間、そう簡単には変わらないぞ」ということに励まされたというかね。

代島:ところで三田さんは村上春樹さんとは同時代に早大に在籍されていたんですよね。映画を撮る際、村上さんの『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』など初期作品を読み直しました。

三田:私は『風の歌を聴け』などを読むと、当時の痛みが伝わってくるんですね。村上さんとは学生時代面識はないんだけれども同じ場所にいたということもあって。

代島:初期作品には必ず自殺者が描かれていますが、80年代に読んだときは三田さんがおっしゃる「痛み」はわからなかった。けれども今回読み直してみて、びんびん伝わってくるんです。

三田:結局、闘争で挫折した人の物語なんですね。それがわからないと「何でこの人たちは絶望しているんだろう」となる。根底には学生運動があったと思います。

代島:この映画をつくっていて思ったのは、かつてある理念を取り込んだ若者たちが一度抜け出し、あらためて理念を探していく物語でもあるような気がしているんです。

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