代島:山崎さんのお兄さんだけでも10時間以上しゃべってもらいました。

三田:お兄さんが訥々と語られる映像には打たれるものがあります。じつは僕にはトラウマがあって、「自分はずっと取り残されてきた」という思いで小説を書いてきたんだけれども、映画を見ると高校時代から運動をやっていた人たちが早くに組織から抜けていったというのを知り、ちょっとホッとしました。

代島:セクトをやめたということを聞かれてはこなかったんですか。

三田:あんなに詳細に決断の経過までは。若い頃に理念をもち志をもって生きた人が違う生き方に転身していく、濃いドラマを感じました。

代島:僕は、できることならあの時代を知らない若い人にこそこの映画を見てほしいんですね。どこか滑稽に見えるかもしれないし、「なんで命を賭けてまで」って思うかも知れないけれど。

三田:いま考えると、あの頃は高度経済成長の最中だったんですね。セクトにいた人は「次はどこへ行け」と上から指示され転戦するんだけど、ノンセクトの学生は大学が閉鎖されると居場所がなくてアルバイトを始める。そうすると旋盤工のバイト料が熟練旋盤工の賃金とあまり変わらない。それくらい働き手が必要な好景気で、「反体制」と言いながらもお金が手に入る時代でもあったわけです。それに比べ、今の若者たちの貧困状況を見ると、今こそ革命が起こってもおかしくない。

代島:そうですね。今の若者は「勝手なことやって暴れていたヘンな時代」と思うのかなあ。

三田:ヘンな時代というのはそうだけど、我々は「団塊の世代」と言われ、小学校はプレハブ校舎に詰め込まれ不満がたまっていた。進学も就職も容易ではない。そういうフラストレーションはあったと思います。とくに68年の「新宿騒乱」は立川の米軍基地に石油を送る貨車を止めるというので新宿駅が燃え上がったんですね。ニュースを見て東京近県から工場で働く若者たちまで駆けつけ一緒になって暴れた。今からすると想像できないでしょうけど、憤懣(ふんまん)というのが巷にあふれていたんですね。

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