代島:それで後に早大での体験をもとに『僕って何』を書かれることになるわけですよね。

三田:ええ。ただ全共闘は大衆運動で、お祭りみたいなところがあって、大学に機動隊が導入されると居場所がなくなる。そこからセクトに入ったり、連合赤軍のような過激な闘争に走ったりする人たちも出てくるわけですが、まだセクトの対立がそれほどはなかった67年の頃は若者たちの思いが一つに凝縮していた。そうした高揚した場面で、ひとりの象徴的な死者が出てしまった。その人がたまたま知り合いだったということが、この映画の登場人物たちにとっては50年経っても忘れることのできない傷でありバネとなりその後を生きさせてきたんだと思います。

 代島さんはなぜ山崎さんの同級生たちを撮ろうと思ったのですか?

代島:もともとは博昭さんのお兄さんや山本義隆さんたちが中心となった「10・8山崎博昭プロジェクト」に映像記録係として呼ばれたんです。しかし僕は一世代下ということもあり、当事者の輪に加われずにいた。山崎さんの碑の建碑式を弁天橋近くのお寺で行ったとき、モニュメントに手を合わせている皆さんを見て「この人たちは誰にも言えずにきたことがあるのではないか」と思ったのが2017年。あの日は三田さんも数珠を手にされていました。

三田:そうでしたね。

代島:そのあと山本さんたちと羽田闘争のことを伝えるためにベトナムに行ったりするうち、ひとりの死によって人生が変わった人たちの言葉を紡ぐことで、ひとつの時代が見えてくるのではないかと考えたんです。

 あの時代のことはこれまでにも本にされたものはありますが、いわば「個人的な記憶」で。山崎博昭という時間を止められた人間をとおして時代の「集合的記憶」として紡ぐことができるのではないか。そこに僕も入りたいと思ったんです。

三田:私は小説家だから、資料があれば小説は書けるんだけども、ドキュメント映画はカメラマンを連れて何時間もインタビューしないといけない。それを重ねていく。ものすごい情熱だなぁと驚かされました。

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