満島ひかりさん(左)と林真理子さん  [撮影/写真部・小黒冴夏、衣装協力:モナカ ジュエリー]
満島ひかりさん(左)と林真理子さん  [撮影/写真部・小黒冴夏、衣装協力:モナカ ジュエリー]
満島ひかり  [撮影/写真部・小黒冴夏、衣装協力:モナカ ジュエリー]
満島ひかり  [撮影/写真部・小黒冴夏、衣装協力:モナカ ジュエリー]

 数々の映画やドラマ、CMに引っ張りだこの満島ひかりさん。役者人生の原点から今後の方向性まで、作家の林真理子さんとの対談で語りました。

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>>【対談1:満島ひかり「『セリフは原作どおり』をタテにやりたい放題」 乱歩ドラマの舞台裏】より続く

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林:満島さんは、子どものころ出身地の沖縄で、歌とかダンスの学校に行ってたんですよね。

満島:はい。歌がすごくうまいとか、ダンスがすごくうまいとかではなかったんですけど、私は「楽しい!」という気持ちのパワーがすごく強かったんです。先生は「この子、なんか目立つし気になるんだけど、何がいいのかわからない」っておっしゃってて……。

林:すごい褒め言葉ですね。

満島:それから役者さんをやるようになって「そうか、ひかりはそういった表現の人だったんだ」って思ったようで。私は複雑な部分をたくさん持っていまして、子どものころは自分自身を説明することがとても難しかったんです。でもその音楽学校で、音楽がガンガン鳴って「自分の好きなように踊って」って言われて、気持ちがあふれ出てきて「私の居場所はここだ!」みたいな、表現することの解放感があったんです。

林:ああ、なるほど。

満島:両親が体育の先生で、きょうだい全員スポーツができるんですけど、自分だけスポーツができないから身体の表現の場がなくて、空想ばかりだったんです。初めて表現する場所に出会って、そういう輝きが出たんじゃないかなと思います。

林:でも、歌手になりたいとか、アイドルになりたいとかって思ってたんでしょう?

満島:漠然とはありましたが、何になりたいというのは持ってなくて。意識して「俳優になりたい」と思ったのは、中国の歌手のフェイ・ウォンがお芝居をしてる「恋する惑星」(1994年)という映画がきっかけでした。それと、「スワロウテイル」(96年)という映画で、歌手のCHARAさんがお芝居をしてるのを見て「役者でいきたい」と思ったんです。歌う人がお芝居している姿がすごく好きでした。音楽グループで活動していたので、「こういう感じならイメージできる。役者さんになったら歌うようにお芝居をしたい」と思って。役者だと名乗れるまでは、歌の仕事は絶対しちゃいけないと封印もしていました。

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