帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
東京オリンピックで 金メダルを獲得した女子バレーボールの日本代表。右から藤本、奥長、半田、谷田、松村(好)、渋木、篠崎、松村(勝)、佐々木、磯部、宮本、河西=1964年 (c)朝日新聞社
東京オリンピックで 金メダルを獲得した女子バレーボールの日本代表。右から藤本、奥長、半田、谷田、松村(好)、渋木、篠崎、松村(勝)、佐々木、磯部、宮本、河西=1964年 (c)朝日新聞社

 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「東京オリンピックについて」。

【写真】1964年東京オリンピックで 金メダルを獲得した女子バレーボールの日本代表

*  *  *

【熱狂】ポイント
(1)前回の東京オリンピックでは全国民が熱気に包まれた
(2)生命のエネルギーの高まりがオリンピックの意義
(3)生命の躍動、高まりがないならやらないほうがまし

 1964年に東京オリンピックが開催されたとき、私は外科医になって3年目でした。手術の腕を磨くことに邁進(まいしん)しながら、学位論文のために研究も始まっていましたから、オリンピックどころではありませんでした。といっても、わが家がテレビを買ったのは、オリンピックに合わせてでしたので、関心がなかったわけではないようです。

 思い出すのはマラソンでのエチオピア、アベベ・ビキラ選手の優勝です。そしてわれらが円谷幸吉選手が、もうすぐゴールというところで、英国のベイジル・ヒートリー選手に抜かれて3位になったのは悔しかった。

 無差別級の柔道の決勝で日本柔道界のヒーローだった神永昭夫選手がオランダのアントン・ヘーシンク選手に敗れたのは、口惜しいを通り越して拍子抜けでした。

 東洋の魔女といわれた女子バレーボールチームの金メダル獲得は素晴らしかったですね。大松博文監督が率いる女性たちの姿が目に焼きついています。なかでも私は宮本恵美子選手がお気に入りでした(笑)。

 こうしてみると、オリンピックどころではなかったと言いながら、結構見ていますね。それだけ前回の東京オリンピックでは、日本の全国民が熱気に包まれたんです。私のように、スポーツにはたいして関心のない者でも、その熱気につられて選手たちの活躍ぶりに一喜一憂しました。

 本来、オリンピックとはどういうものなのでしょうか。はじまりは紀元前776年、古代ギリシャのオリンピアです。ゼウスの神を崇(あが)める4年ごとの祭典で行われた競技会でした。この古代オリンピックは293回続いたといいますからすごいですね。そのオリンピックは、ゼウスに帰依するとともに、運動、詩、音楽などに熱狂することによって、競技場の、アテネの、ギリシャ全体の生命のエネルギーを最高に高めようとする祭典だったのです。

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帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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