春日氏は現地に駐在中、スーチー氏や、今回のク―データーを指揮した国軍トップのミンアウンフライ最高司令官にも直接面会し、インタビューした。 

「スーチー氏は饒舌ですが、人をピリピリさせるようなところがある。ミンアウンフライ氏のほうが雰囲気がやわらかく、気軽に話ができる人という印象でした」

 スーチー氏は建国の父、アウンサン将軍の娘。1988年、NLD(国民民主連盟)を結成し、民主化のシンボル的存在となった。軍政により何度も自宅軟禁下に置かれ、その期間は延べ15年にも及ぶ。「民主化を破壊する軍」対「民主化のシンボルであるスーチー氏」という構図の報道が一般的で、今回のデモでも、スーチー氏の写真を掲げる人たちが多く見受けられる。

「ミャンマー人は軍のクーデターに反対し、もう軍政に戻るのはまっぴらごめんだと声を上げています。しかし、国際社会では『スーチー氏が民主主義の象徴』という見方はもはやかすんでいる。たとえばロヒンギャ問題をめぐってはミャンマーに対し国際的な非難が巻き起りましたが、スーチー氏は沈黙してきたからです。しかも、政権発足当初は先のテインセイン政権以上に情報統制を強めていて、メディアに十分情報公開をしなかった。ミンアウンフライ氏からすれば、そんなスーチー氏への不満が募っていたのかもしれない」

 それでも、スーチー氏の国民からの支持は高く、昨年11月の総選挙では改選議席の8割を超える圧勝だった。ミンアウンフライ氏は「選挙に不正があった」と主張するようになった。

 軍事政権時に定められた憲法で、国会の議席の4分の1は軍人枠。残りの4分の3を選挙で争う。総選挙で軍と連携する政党が3分の1の議席をとれば過半数を上回り、ミンアウンフライ氏が大統領になる可能性もあったという。

「おそらく、本人はそれを狙っていたと思います。ところがあまりにも惨敗しすぎたので、選挙不正を問題視したのでしょう。ただ、それが本気だったのか、クーデターの口実だったのかは、ミンアンフライ氏本人にしかわかりません」

 混乱が続く情勢は、まだまだ先が見通せない。

(本誌・上田耕司)

※週刊朝日オンライン限定記事

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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