もともとこの地に暮らしていたアイヌの人たちが、漁れた鮭にその場で野菜を入れて鍋で煮て食べていたのがヒントとなり、当時は「大鍋」や「鮭鍋」と呼んでいたという。戦後、石狩にも観光客が集まるようになると、この鍋料理が評判になり、全国的に有名となって、いつしか「石狩鍋」になったという。店名は最初の屋号の(カネ)大(ダイ)、つまりカネダイの「カネ」を縁起を担いで金(きん)に換え「金大亭」としたという。今の女将は四代目の石黒聖子さんで、元祖石狩鍋の味を頑に守っている女丈夫である。

 あらましを知ってしばらくした後、何と私にその料亭に行って食事をする絶好の機会が訪れたのである。それはある九月末の、ちょうど秋鮭が揚がる最盛の頃であった。東京にあるNHK総合テレビの全国放送番組「ゆうどきネットワーク」の制作部より、石狩の親船研究室にいる私に連絡が来たのである。

 その内容は、石狩にある老舗料理屋の「金大亭」には昔からの鮭料理がそのまま残ってきている。例えばこの店が発祥といわれる石狩鍋、鮭を余すことなく全て食べ尽くしてしまう料理の数々、さらには鮭の発酵食品の「メフン」などがある。これを食文化を研究している発酵学者の小泉さんに出演していただき、解説を願いたい、というものであった。一週間後、午後一時から午後五時までの四時間を「金大亭」で収録したのであった。

 その日、外門に吊されていた大きな暖簾を両手で開いて玄関に入ると、四代目女将の石黒聖子さんが迎えてくれた。

 しばらくして、取材のためあらかじめ注文していた「鮭尽くしコース」が出され始めた。

 先ず酒に合う肴として、お目当ての「メフン」が出された。この料理は、鮭の背骨に沿って密着して付いている長い帯状の腎臓の塩辛である。鮭は海にいるときは海水から体内に入ってくる塩をこの腎臓を通して排泄し、川に上がると今度はこの臓器に塩を貯える大切な器官である。この腎臓を大量の塩で発酵、熟成、貯蔵したのが「メフン」なのである。

「メフン」はアイヌ語で鮭や鱒の「腎臓」あるいは「血合い」という意味だという。色調はやや赤みを帯びた黒色で、匂いを嗅ぐと塩辛特有の熟れた発酵臭がする。私はそれを、箸の先端でチョンとつまんで口に入れて食べた。するとトロリとする食感の中から、濃厚なうま味と塩熟れした鹹さとが口中に広がり、正しく酒のあてにはピタリの肴と思えた。そこで熱燗を一本つけてもらい、それを飲みながら、チビリ、チビリとメフンを舐めるようにしていただくと、徳利の酒はあっという間に底を突いてしまった。

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