北海道で鮭尽くし…稀代のグルマン・小泉武夫、味覚極楽の境地へ (1/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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北海道で鮭尽くし…稀代のグルマン・小泉武夫、味覚極楽の境地へ

石狩川随想(2) “味覚人飛行物体”がゆく

小泉武夫週刊朝日
小泉武夫氏

小泉武夫氏

1950年代の石狩川河口付近での鮭漁の様子。秋鮭がかかった網を引く漁師ら

1950年代の石狩川河口付近での鮭漁の様子。秋鮭がかかった網を引く漁師ら

 発酵の摩訶不思議な世界に人生を捧げ、希代のグルマンとして世界中を旅してきた小泉武夫さん。待ちに待った定年を迎え、その後の舞台に選んだのは、北海道の石狩市だった。そこで、元祖「石狩鍋」の名店と出合うのだった。

【1950年代の鮭漁の写真をみる】
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 さて石狩市親船というところは、石狩市役所や諸官庁、商店街、住宅街といった賑やかな中心地からは約一〇キロメートルほども離れた遠くの地域にある。日本海と石狩川河口に挟まれた細い半島のような地形にあり、その突端に石狩灯台がある。研究室から日本海まで凡そ四〇〇メートル、灯台まで約八〇〇メートル、石狩川堤防まで八〇メートルという位置関係である。

 また、今でも北海道で鮭の漁獲高上位を占める石狩漁港へは車で約一〇分ほどであるので、秋味と言われる鮭の季節には鮭鱒漁船から大量に陸に鮭を揚げる迫力ある風景を見物することができる。

 さて、親船研究室から石狩灯台の方向に歩いて一〇分もしないとても静閑なところ、言い換えれば石狩の町外れ、親船の町の末端といったところに、「金大亭」と商号する歴史を感じさせる古風な料亭が一軒、古香漂う雰囲気で佇んでいる。

 建物の外枠は全て板塀で囲まれ、門も玄関の戸も正目の格子で構え、平屋建ての三戸がひとつにまとまって一軒の料亭を構成するなど、明治時代に建てられた小樽の建築様式そのものの建物である。築後相当の月日が経ったとみえ、長い間の風雪に曝されながらも持ちこたえて、建物全体の外塀の板の色は淡い灰白色になっている。

 私は散歩の途中で幾度となくこの老舗の前を通るのだが、その度に、どんな料理を出してくれるのかが気になり、そのうち一度は入ってみようと思っていた。

「金大亭」の創業は明治一三(一八八〇)年で、新潟県から移住してきた初代女将石黒サカが「大石黒」の屋号で始めた。石狩は鮭漁で繁栄していたので、集まってきた漁師を相手にその鮭で料理しようと割烹料理屋を思いつき開いたという。今、北海道の郷土料理の代表格である「石狩鍋」の考案者が初代のサカだという。


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