林:そうなんですか。お姉さま、読まれないことがわかっていながら手紙を書いたわけですね。さっそく読ませていただきます。2人のお姉さまたちは、木村さんより10歳ぐらい上だそうですから、当時、アメリカが血となり肉となっていたわけですよね。

木村:姉たちは日本語もろくすっぽわからなかったんですけど、三井財閥がつくった帰国子女ばっかりを集めた啓明学園という学校があって、そこへ入ったんです。でも、とたんに軍部が姉の英語力に目をつけて、戦争中は対米謀略放送をさせられ、戦争が終わったら、今度はBC級戦犯の裁判の通訳をやらされたんです。だから戦争に翻弄されたんですよ。

林:ほぉ……すごい話です。

木村:姉の日記を読んで、僕も知らない話がいっぱいあってびっくりしたんです。終戦になって、信州の田舎の旅館に避難してたんですけど、その旅館に突然アメリカ兵が来て「ビア! ビア!」って言うんですよ。上の姉は17、18歳でしたけど、英語で「こんなところにビールなんてあるわけないでしょ! こっちは食べるものもないんだから」と英語で怒鳴り返したっていうんです。びっくりしたのはアメリカ兵のほうで、翌日、上官が来て「君、通訳をやらないか」って言われて、姉はきっぱり断ったそうです。「日本は戦争に負けたんだから、あなたたちに協力なんかしない」って。彼女は気持ちが揺れ動いたんですね、日本とアメリカの狭間で。

林:なるほど。小説を書く者としてすごく興味をそそられる話です。そのあと平和になってから、お姉さまはお幸せに暮らしたんですか。

木村:何をもって幸せというかわかりませんが、平穏には暮らしてましたね。上の姉は通訳をやったりして、最後、「私のお墓にPh.D.(博士)と書いてほしい」と言って、ハワイ大学に行って博士号をとりました。

林:木村さんご自身は、下からずっと慶応だったんですね。

木村:しばらく慶応にいたんですけど、高校のとき「出ていきなさい」って言われて……。

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