絵は小説と違ってラマ僧のマントラ状態に近いと言います。マントラは頭空っぽのムニャムニャ状態です。輪廻転生する人は頭がビッシリ詰(つま)った状態で忙しい人は再び転生させられます。この寸善尺魔の現世に再生するなんてゾッとします。できれば不退の土(ど)に留まれればと思います。を見ていれば、そこに人の生き方の見本が造型(ぞうけい)されているように思います。

 今、わが家にいるおでんという猫は交通事故で頭が少しアホになっています。タマは猫のぬいぐるみを着た人間みたいでした。今のおでんはアホのぬいぐるみを着た猫そのものです。人間も本当に悟ると寒山拾得のようにアホっぽくなります。僕が寒山拾得の絵を描くのはアホに憧れるからです。森鴎外も寒山拾得に憧れた小説を書いていますが、もう書くのに飽きたというような小説で、仕上げないで途中でほっぽり出したところがさすがです。頑張った小説も絵も面白くないですね。猫みたいにウトウトしたどうでもいい小説や絵でいいんじゃないでしょうか。僕が師事した禅僧のひとりは、いつも猫みたいにムニャムニャしていました。悟るとこうなるみたいです。ではまた。

■瀬戸内寂聴「ヨコオさんの猫の他界 長いお経あげました」

 ヨコオさん

 あれこれ面白くないことがつづいた今年もいよいよ終(おわ)りが近づいてきましたね。

 さっき、何気(なにげ)なく開いた「ミセス」の一月号に、ヨコオ家の四人家族がグラビアに華やかに並んでいて、懐かしくなりました。

 ミミちゃんがまあ、何とべっぴんさんになったこと!! すっかり色っぽくなりましたね。

 英くんは益々(ますます)堂々として、社長面になりましたね。頼もしくて、ヨコオさんは安心でしょう。英くんは十代の時なんか、まるで小さな少年のように初々しい子でしたね。出版社のお姉さんたちは、英くんのことを「まるで神さまが、この世を歩いているよう!」と言っていましたよ。

 少年時代の英くんと、ヨコオさんと三人でインドへよくゆきましたね。その時、インドのアクセサリー屋を英くんが見つけてきては、三人で店へはいって、あれこれ、チャチなアクセサリーをいっぱい買いましたね。

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