セトウチさんも、どつかれて顔が腫れ上(あが)って、「が火傷」した、そんな恐(おそろ)しい小説でも書いて下さいよ。それを読んだ読者がカタルシスとして浄化すればいいんじゃないでしょうか。宇野千代さんの死に顔が美しかったようですね。西洋には死に顔のメイクアーティストがいるようです。「ラブド・ワン」という映画のように、死に顔をいじくり廻(まわ)して、悪魔や天使のような顔に作りかえるのも手ですよ。僕ならポカンと口を空けた寒山拾得みたいなアホ顔にメイクしてもらって棺桶(かんおけ)に入れてもらうのもいいかなと思います。もう二度と生まれかわらない顔がいいですね。カツラと睫毛(まつげ)もつけて、グレタ・ガルボは如何(いかが)でしょうか。アホなこと言わないで、ほなおやすみなさい。

 と、ここまで書いて終(おわ)ったと一安心したら、まだ8行あるじゃないですか。数学が弱いから、字数計算ができないんですよね。何(な)んでもなりゆきまかせの生き方をしてきたので、予定調和ってのは僕の字引にはないんですよ。予定不調和しか。

■瀬戸内寂聴「さあ書くぞ! 退院にすき焼きで乾杯」

 ヨコオさん

 久しぶりに帰った寂庵は、紅葉の真っ盛りで、目の覚めるような金色のるつぼでした。

 四季いつの場合も寂庵は風情がありますが、何といっても十一月さなかの紅葉絶頂の時期ほど美しい時はありません。

 十一月十四日は、私の得度記念日に当(あた)ります。五十一歳の時、中尊寺で髪を落(おと)したのが十一月十四日でした。その朝見た中尊寺の紅葉の真紅(しんく)の鮮やかさは、今も目の奥に残っています。よくまあ、あんなことを思い切ってしまったものだと、今更のように自分の無鉄砲さに呆(あき)れています。

 私は元来そそっかしく生(うま)れついていて、物事をよく深く考えないで、衝動的にやってしまう性格のようです。五十一歳の私は、髪の毛が長く濃く豊かでした。器量の悪い自分にとっては、ひそかに唯一の自慢にしていた黒髪を、あっさり坊主頭に剃(そ)り落すなど、とっぴなことを考えつき、実行したのでしょう。

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