今から考えても、あの時の心境の本質は自分でも解(わか)りません。大体が浅慮で、思いつき次第、そわそわと実行してしまうたちなので、髪をおろした時も、先のことなど、ろくに考えていなかったのだと、今にして思い当ります。

 ただし、私は浅慮でそそっかしいけれど、取ってしまった行動を、後になって後悔したり、あわてふためいたりしたことは、一度だってありません。

 中尊寺の本堂の、人の一杯集まった式場から連れ出され、長い廊下を歩き、奥の小さな一室につれこまれた時、寺の近所の散髪屋の娘さんが一人、そこに座って待っていました。私の顔を見上げるなり、「ひゃあ! こんな人の頭、よう剃らん!」と叫んで、泣きそうになりました。

 それを係の坊さまが、何とかなだめて、大きなバリカンで、ぐさっと髪を落された時の感触が四十七年経った今もまだ、ありありと思い出されます。バリカンが、かみそりになって、念入りに青坊主にされる間、壁の向こうから声明(しょうみょう)の澁(しぶ)い声が聞こえつづけていました。当時の比叡山一の声明の名人の僧が、あげてくれていたと後になって聞きました。

「髪が長くて多かったから普通の人の三倍の時間、声明をあげつづけて咽(のど)がかわいたよ」と何年か経って聞かされたものです。

 現在、私は寂庵の廊下で転んで顔と頭を打ち、入院して、ようやく昨日退院したばかりです。すべての事情は、ヨコオさんには委(くわ)しく報告してありますよね。入院中のばしっぱなしだった髪の毛を今朝まなほに剃ってもらったので、当時の事を思い出しました。

 頭がこれ以上バカになっていては困るので、入院して検査してきました。まあ、今の所、何とか使い物になるらしいということで、退院したばっかりです。私はヨコオさんとちがい、入院はさほど好きではありません。何より、お酒が一滴も呑(の)めないではありませんか。

 退院して、寂庵のスタッフと、真っ昼間、シャンパンで乾杯し、すき焼(やき)を食べた時の生き返った感じ!

 さあ! 書くぞ! コロナにならなくても人間何時、死ぬかわからない。せいぜい生きてる間に、好きな仕事をしなければ!! おやすみ。

週刊朝日  2020年11月27日号