御厨:悠仁さまが生まれておらず、孫の世代に男性皇族がひとりもいない皇室は危機的状況にありました。

岩井 政府は吉川弘之元東大総長を座長とする有識者会議を発足させて、「着地させろ」と散々にもめていた。そのとき、皇居の奥から花弁が舞うように、皇太子さまが、「ちょっと待ってくれませんか」と言いだしたという証言が聞こえてきた。

御厨:ははあ。

岩井:だが、有識者会議の主だった方々もご存じなかった。有識者会議は方針どおり、「女性・女系天皇容認」の報告書を提出。みんな懸命に努力してくれているのに、「事ここに至って止めるのは無理」ということで表に出なかったのではないかと推測しています。

御厨:皇太子さまが「待った」をかけたかった理由は?

岩井:雅子さまが適応障害で体調を崩し、子育てでも悩んでおられるなかで、「愛子さまが天皇になるぞ」と典範改正までされたらどうなるのか、と心配されたのかもしれませんね。

御厨:そのあと、いろいろなことが皇室の家族に起きました。当時の皇太子ご一家周辺の「赤坂」と平成の天皇ご夫妻周辺の「千代田」で溝も深まりました。

岩井:ええ、その溝は天皇と皇太子と秋篠宮の3人が毎月会う三者会議が定例化するに従い、埋まったようです。秋篠宮が皇嗣として事実上の皇太弟となることにも不協和音は聞こえてきません。上皇、天皇、秋篠宮の3者の合意ができているためではないでしょうか。それを理解しないまま、世論調査で「女性天皇」への賛成が多いから道は決まっている、と言う。宮内庁幹部の中には、「今は愛子さまを天皇に、という人は宮内庁にも官邸にもひとりもいない」と明言する人もいます。

(構成/本誌・永井貴子)

【後編:杉田官房副長官の謁見を断った風岡典之元宮内庁長“更迭劇”の真相は?】へ続く

岩井克己(いわい・かつみ)/1947年生まれ。94年から2012年まで朝日新聞編集委員。「紀宮さま、婚約内定」の特報で05年、新聞協会賞受賞。著書に『天皇家の宿題』『皇室の風』、共同監修に『徳川義寛終戦日記』など。

御厨貴(みくりや・たかし)/1951年生まれ。東大法学部卒。政治学者。東大名誉教授。東大先端科学技術研究センターフェロー。2016年に天皇の退位を検討する「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」で座長代理を務めた。

週刊朝日  2020年11月6日号より抜粋

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