渡哲也さんが裕次郎にそっくり渡したギャラ…石原プロ入りの真実 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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渡哲也さんが裕次郎にそっくり渡したギャラ…石原プロ入りの真実

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佐藤利明週刊朝日#お悔やみ
渡哲也さん (c)朝日新聞社

渡哲也さん (c)朝日新聞社

「裕次郎を慕い続けたヒーロー」

 渡哲也さんには昨年上梓した『石原裕次郎 昭和太陽伝』(アルファベータブックス)に「どんなときも自然体で、おだやかで、やさしい。裕次郎さんの大きさをいつも感じていました」という素晴らしい帯文を頂戴した。インタビュー取材では共演者や監督への気遣いを忘れず、丁寧に言葉を選びながらも本音で答えてくれる。優しい眼差しの温かく、大きな人だった。

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 1964年、日活に入社した渡哲也は、撮影所の食堂で石原裕次郎に挨拶をした。裕次郎は立ち上がり、背広を直して「そうですか、頑張ってください」と手を差し出した。その折り目正しさに感激した渡は「この人について行こう」と思ったと、取材で話してくれた。

 真面目な青年に好感を抱いた裕次郎は「テツ」と後輩を可愛がった。日活は期待の新人を「第二の裕次郎」と大々的に売り出し、65年の『泣かせるぜ』『赤い谷間の決斗』で二人を共演させた。

 斜陽の映画界で、渡はアクション俳優として活躍した。『紅の流れ星』(67年)で演じた殺し屋・五郎は、退屈を持て余す男の虚無感を絶妙な「軽さ」で表現。まだ「シラケ」という言葉がない時代、若者の不安や不満、退屈な気分がスクリーンから溢れている。『無頼より 大幹部』(68年)で演じた「人斬り五郎」は、精神的にも肉体的にも徹底的に傷つけられながら、自らの尊厳を守るため立ち上がる。裕次郎とは違う苦悩するヒーロー像が渡のイメージを決定づけた。軽さと生真面目さが渡哲也の魅力だった。


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