献身的なサポートの甲斐もあり、金田さんは心身を立て直した。記者が会いに行っても、金田さんは重たい現実を受け入れているようにも見えた。

 いまとなっては彼の当時の心中は、本当のところはわからない。

 ただ、たとえば「余命わずか」と死を目の前に突きつけられたら、記者はどうするだろう。

 やり残したことをしたい。残りの人生を自分らしく生きたい、とまず思う。でも、そんなことはできるのだろうか。

 自分らしく最期を迎える手助けをする日本尊厳死協会に取材した。1976年、死のあり方を考える医師、法律家、ジャーナリストらが集まり設立された。毎年、数千人が加入している。

 協会の江藤真佐子さんは言う。

「最期の瞬間まで自分らしい生き方ができれば、その人にとっての救いになるのかもしれません。厳しい状態になって悩みながら生きるより、死を受容していく。それができればいいのですが、そんなに簡単なことではありません」

 自己肯定感を追うのが一つの方法、と江藤さんは言う。実際に死を意識すると、ネガティブな気持ちになりがちだが、これまで人生でよかったことは、何かしらあるはずだ。そのよかったことを改めて実感できれば救われるのでは、と。

 金田さんはアウトドアをこよなく愛していた。他界する3週間前、大岳さんら仲間たちが集まり、25年間の「カヌーツーリング」のビデオ鑑賞会を開いた。

「みんなに会いたい」

 という金田さんの気持ちに応え、できるだけ多くの人に、と友人の輪はひろがった。最後かもしれないと、記者も予定をキャンセルして駆けつけた。

「会えてよかったよ。いろんな楽しい思い出がよみがえってきた」

 そう語る表情が忘れられない。今年1月7日、世を去った。享年63。

 自分らしく生きる、というと大げさかもしれない。ただ、病を得たキンチャンにとって、長年の仲間とつながりを感じることが糧になった。人生の締めくくりに会いたい人と語り合えた。そういう意味で、少しは救われたのではないか。

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