岡崎二朗さん(事務所提供・左)/梅宮辰夫さん (c)朝日新聞社
岡崎二朗さん(事務所提供・左)/梅宮辰夫さん (c)朝日新聞社

 2019年も残りわずか。今年も多くの人がこの世を去った。別れの言葉には、さまざまな思いが込められている。共に過ごした思い出、伝えられなかった気持ち。今、あの人に語りたいメッセージ。

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梅宮辰夫さんへ

岡崎二朗(俳優)
※12月12日 東京都内でのインタビューを元に構成

■また仲間に入れてくださいよ

 亡くなる5日前、私に電話をくれましたね。「年末は5回くらい忘年会をやる。オレは人工透析をやっているし、もう会えなくなるかもしれないからな。5回の忘年会のうち1回は役者のにするから、お前も来いよ」と言ってましたね。その時はもう、体が相当ヤバイ状態で、死期を感じていたのかもしれません。

 兄さんは、東映の五つ上の先輩で、私は大原麗子と相前後して東映に入りました。あの頃、銀座のクラブを連れ回し、かわいがってくれましたね。当時の先輩には、鶴田浩二さん、高倉健さん、菅原文太さん、若山富三郎さんら、そうそうたる俳優がいましたが、私が「兄さん」と呼んで慕ったのはあなただけ。兄さんは私を「ジロー」と呼んだ。

 兄さんは、プロの女性にモテた。銀座で飲みながら、「銀座の女や客が惚れないようじゃ、本物のスターの素質はない。金なんて使えばまた入ってくる」と話してました。「共演した女優と噂にもならないようじゃ、その映画は当たらない」とも教わりました。

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