萩尾:あらら……。でも何かの能力がちょっと劣っているということは、どこかが突出してるんじゃないですか。

林:そう思わないと(笑)。デビューできたきっかけは何だったんですか。

萩尾:何とかデビューしたいなと思ってたら、同郷の平田真貴子さんという方が講談社の漫画賞に入賞なさって、「少女フレンド」に連載されていたので、あるとき大牟田のお宅に訪ねていったんです。それが縁で、私が高校を卒業して上京したときに「なかよし」を紹介してくださって、描きためた原稿を持っていって編集さんに見せたんです。「可愛い絵だね。20枚前後で漫画描ける?」「はい、描けます」「じゃあ今月中に送って」という流れになって、大牟田に帰ってせっせと描いて送ったのがデビューになりました。

林:上京、許してくれたんですか。

萩尾:父と母に「上京して漫画家になりたい」と言ったら、「貯金もないのにダメだ」と言われて、せっせと原稿を描いて送ってたんですけど、3本送ると2本ボツで、やっと1本オーケーという感じだったので、これでは上京しても食べていけないなと思って躊躇(ちゅうちょ)してたんです。ときどき原稿を持って東京に行っているうちに、「カンヅメになっている漫画家がいるから、手伝いに行ってあげて」と言われて、それが竹宮惠子先生で……。

林:まあ、竹宮惠子さん。

萩尾:竹宮先生、私の漫画を読んでくださっていて、「東京にいつ出てくるの?」って聞かれて、「私、生活できるかどうかわからないし、女の子の一人暮らしはダメだと両親が言っているので、当分出てこられません」と言ったら、「じゃ、私のアパートで一緒に暮らしませんか」と言ってくださって。両親に話したら「1年ぐらいならいいだろう」という感じで許してくれたんです。

林:それからはトントン拍子ですか。

萩尾:いやいや、トントンじゃなくて、ジグザグ、ジグザグです(笑)。漫画界には、メイン作家と、描いても描いてもものにならないサブ作家というのがいて……。

林:メイン作家は巻頭を飾るような人ですね。「巻頭カラー40ページ一挙掲載!」とか。

萩尾:そうそう。それと巻末に流れるようなサブ作家がいて、私はメインからはるかに離れたところでとりあえず描いてました。

林:そんな時代もあったんですか。私は1954年生まれで、「マーガレット」「少女フレンド」が必読書でしたけど、あのころはどんな漫画が一世を風靡してましたっけ。

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