「筒形の埴輪は、古墳を守る垣根のような存在で、魔除けの意味もあったと考えられます」(若狭さん)

 円筒埴輪や盾持ち人埴輪は威嚇し、人物・動物埴輪群像は、王の事績を示し人々を安心させるものだった。さらに、異彩を放つ造形で、常に人に見られることを意識した「公の芸術品」でもあったといえるかもしれない。

■豪華で華やかな「副葬品」

 古墳の周囲に並べられ、見られることを意識した埴輪とは異なり、副葬品は大王や王とともに埋葬され、儀式に参加したり、埋葬をしたりした一部の者しか目にすることができなかった。

 銅鏡や、銅剣、甲冑などの武具をはじめ、金や銀の耳飾り、翡翠、水晶の勾玉などの装飾品など、豪華で貴重なものも埋葬された。副葬品に豪華で貴重なものが多いのは、埋葬された王や支配者の地位や権威を表すものでもあったからである。

 ただし、大王や王は力で絶対服従的に地域集団を支配したのではないので、敬意を持たれていたともいえる。そして死後も生前のような生活が送れることを願ったのかもしれない。

 豪華で貴重な副葬品の数々は、大王や王が死後の世界も豊かに生活を送れるようにした証しでもある。(取材・文/本誌・鮎川哲也)

週刊朝日  2019年6月21日号