「愛のコリーダ」公開後、藤竜也“2年間仕事なし”当時の心境は? (1/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「愛のコリーダ」公開後、藤竜也“2年間仕事なし”当時の心境は?

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藤 竜也(ふじ・たつや)/1941年、北京生まれ。大学時代に日活に入社。62年に「望郷の海」でスクリーンデビュー。76年に「愛のコリーダ」(大島渚監督)で第1回報知映画賞主演男優賞受賞。近作に「人生、いろどり」(2012年)、「私の男」(14年)、「龍三と七人の子分たち」(15年)、「お父さんと伊藤さん」(16年)、「光」(17年)など多数。19年公開作に「初恋~お父さん、チビがいなくなりました」(5月10日公開、小林聖太郎監督)、「空母いぶき」(5月24日公開、若松節朗監督)などがある (撮影/写真部・小原雄輝)

藤 竜也(ふじ・たつや)/1941年、北京生まれ。大学時代に日活に入社。62年に「望郷の海」でスクリーンデビュー。76年に「愛のコリーダ」(大島渚監督)で第1回報知映画賞主演男優賞受賞。近作に「人生、いろどり」(2012年)、「私の男」(14年)、「龍三と七人の子分たち」(15年)、「お父さんと伊藤さん」(16年)、「光」(17年)など多数。19年公開作に「初恋~お父さん、チビがいなくなりました」(5月10日公開、小林聖太郎監督)、「空母いぶき」(5月24日公開、若松節朗監督)などがある (撮影/写真部・小原雄輝)

藤 竜也さん (撮影/写真部・小原雄輝)

藤 竜也さん (撮影/写真部・小原雄輝)

 もし、あのとき、別の選択をしていたなら。著名人が岐路に立ち返る「もう一つの自分史」。俳優・藤竜也さんが登場します。渋みと色気をまといつつ、ときにニコリともせず、観客をプッと噴き出させる。そんな魅力的な役者の出発点は「デートの待ちぼうけ」からでした。

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*  *  *
 大学時代にデートで待ちぼうけをくらってね。「ちっとも来ないなあ」なんて思ってたら、中年の男性が近づいてきて「俳優に興味はありますか」と。もともと映画は好きで、ずいぶん見ていた。「お金になるよ」と言われてね。「そんなにいい話があるかな?」と思いながら渡された住所を頼りに日活に行ったんです。

 重役さんが数人待っていて「君、名前なんていうの」「伊藤竜也です」「伊藤は芸名にはピンとこないね。『伊』を取れよ」。それで「藤(ふじ)」。面接なんてものでもなかったけど、そのまま俳優になっちゃった。まあ大学にもほとんど行かない学生で「これから、どうしたもんかな」と思っていたところだったから、渡りに船っていうかね。

――21歳のとき、小林旭主演の「望郷の海」でスクリーンデビュー。その後も石原裕次郎主演の「夜霧のブルース」などに出演を重ねるが、数年は試行錯誤の連続だったという。

 芝居なんて右も左もわからないから、困っちゃってね。最初の3、4年はカメラが回ると自分の足が地に着いているのかわからないような、そんな状態でした。でもやるならば、ある程度の落とし前をつけないとダメだなと思ってね。自分なりに「演技とはなんだろう」と考えはじめた。簡単にはわからなかったですけどね。

――最初の転機となったのは、1969年の「野獣を消せ」。基地の街を舞台に、過激な暴力と非道を繰り返す若者グループのリーダーを演じた。

 台本を読んだときに「これは、できそうだ!」って感じがしたんです。僕に決まっていた役じゃなくて、たまたま手に取った台本を拾い読みしちゃったんですけどね。このどうしようもなく悪い青年って俺じゃないか? この役を理解できる、と感じた。それで「俺、あの役やりたいんだけど」と周囲に言っていたら、監督の耳に入って役をいただけたんです。


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