対馬丸事件生存者の心の氷解かした陛下の和歌「頭をハンマーで殴られたような衝撃」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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対馬丸事件生存者の心の氷解かした陛下の和歌「頭をハンマーで殴られたような衝撃」

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亀井洋志週刊朝日
対馬丸記念会の高良政勝理事長(撮影/本誌・亀井洋志)

対馬丸記念会の高良政勝理事長(撮影/本誌・亀井洋志)

  平成が幕を閉じようとしている今、天皇皇后両陛下が歩んできた道のりを改めてふりかえると、「沖縄」に対して強い思いを寄せてきたことがわかる。皇太子夫妻時代も含めてこれまで11回も沖縄を訪れてきた。

 戦時中、学童疎開船が米軍の攻撃で沈没させられ、多くの子どもが犠牲になった「対馬丸事件」。その生存者で、対馬丸記念会の理事長を務める高良政勝さん(78)が感慨深げに言う。

「陛下は国民のため、亡くなった人々のために祈りの行脚を続けてこられた。象徴としてのお務めを誠心誠意、全力で尽くされたことに感謝を申し上げたい」

 対馬丸は1944年8月22日、沖縄から本土に向かうところを米潜水艦の魚雷を受けて撃沈。児童ら約1500人が亡くなった。高良さんは4歳で乗船し、両親ときょうだいの計9人を亡くしている。高良さんは父親に支えられながらイカダにつかまり、海を漂流。3日後、奇跡的に助け上げられたが、父親は救助船の船員に高良さんを手渡すと力尽きて海に沈んでいったという。

「天皇の名の下に始まった戦争で、犠牲にさせられた」との思いを長年にわたって持ち続けてきた。高良さんがこう打ち明ける。

「国策で疎開が進められ、何の罪もないこれほどたくさんの子どもたちを死に追いやったのです。天皇陛下には子どもたちの御霊の前でこうべを垂れてほしいと、ずっと思っていました」

 天皇や皇室に対して、いい感情は持てなかった高良さん。だが、2002年ころ「対馬丸記念館」(04年開館)の建設に関わった橋本龍太郎元首相(故人)の事務所を訪れた際、壁に掲げられた額に目がくぎ付けになった。

<疎開児の命いだきて沈みたる船深海(しんかい)に見出だされけり>

 97年に海底に沈む対馬丸の船体が発見された時、陛下が詠んだ和歌だと、橋本氏から教えられた。また、天皇皇后両陛下が対馬丸の悲劇に思いをはせ、毎年8月22日に黙祷をささげていることも知った。

「頭をハンマーで殴られたような衝撃でした。陛下は犠牲になった子どもたちを悼み、事件と向き合い続けてこられたのだなと痛感しました。そのころから、私の皇室に対する気持ちが少しずつ変わり始めました」


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