草食男子だったけど!? 宇崎竜童、阿木曜子との運命の出会い (1/5) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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草食男子だったけど!? 宇崎竜童、阿木曜子との運命の出会い

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中村千晶週刊朝日
宇崎竜童(うざき・りゅうどう)/1946年、京都府生まれ、東京育ち。明治大学の軽音楽部で妻・阿木燿子さんと知り合い、71年に結婚。73年に「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成。その後も作曲家として多くのアーティストに曲を提供している。82年に映画「TATTOO(刺青)あり」(高橋伴明監督)に主演するなど、俳優としても活躍。新作映画「波乗りオフィスへようこそ」(4月19日〈金〉から全国順次公開)では徳島県美波町の漁師役を演じている (撮影/写真部・小原雄輝)

宇崎竜童(うざき・りゅうどう)/1946年、京都府生まれ、東京育ち。明治大学の軽音楽部で妻・阿木燿子さんと知り合い、71年に結婚。73年に「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成。その後も作曲家として多くのアーティストに曲を提供している。82年に映画「TATTOO(刺青)あり」(高橋伴明監督)に主演するなど、俳優としても活躍。新作映画「波乗りオフィスへようこそ」(4月19日〈金〉から全国順次公開)では徳島県美波町の漁師役を演じている (撮影/写真部・小原雄輝)

宇崎竜童さん (撮影/写真部・小原雄輝)

宇崎竜童さん (撮影/写真部・小原雄輝)

 もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。人生の岐路に立ち返ってもらう「もう一つの自分史」。今回は、ミュージシャンの宇崎竜童さんです。人生最大のターニングポイントは、妻・阿木燿子さんとの出会い。「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」など、二人で数々のヒット曲を生み出しました。妻と音楽への愛とリスペクトが詰まった人生を語ります。

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*  *  *
 もうね、阿木は僕の人生のプロデューサーです。阿木がどこに向かっているかで僕の行動は決まっちゃう。ということは、自分でなんにも決めらんないってことなんだけどね。

 最初に阿木と曲を作ってから、もう50年になると思います。大学時代に周囲の友達や先輩、親きょうだいにも誰かれなく「詞を書いて」って頼んでいたんです。阿木もそのなかの一人だった。

 当時はカレッジ・フォークみたいな音楽がはやっていて、ほかの友人たちが書いてくる詞は、「星が、花が、風が、海が」みたいなロマンチックなものが多かったんです。でも阿木の詞は違ったんですよね。そこに何か一本筋が通っているというか。「これにどうやってメロディーつけようかな?」と挑みたくなる、新鮮さがあったんです。

――「アンタ、あの娘の何なのさ」「馬鹿にしないでよ」──。妻の阿木さんとのコンビで、数々のヒット曲を生み出したのは、周知のとおり。まず、その“人生のプロデューサー”と出会うまでを振り返ろう。

 僕は7人兄姉の末っ子なんです。一番下の兄は小さいとき病気で亡くなって、それからは6人なんですけど、親はもう「育て飽きた」という感じ。長男と僕は21歳、一番近い姉で7歳違いますからね。

 僕は言ってみれば間違って生まれたようなものです。昭和20年の8月の頭に、おふくろとおばあちゃんが、身ごもったことを知った。「こんな時期に産んでいいのか」と2人で悩んで「明日の晩までに答えを出そう」と。その翌日に玉音放送があって「じゃあ、産もうか」となったそうです。終戦がもう少し後だったら僕はこの世にいないですね。


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