東山:それも酔っ払いながら計算ずくで笑いを取っていましたね。

朝井:小説の執筆は孤独だし、しんどい仕事です。だから後輩を励まそう、というお気持ちが強かったのでは。『曙光』で大分の日田を訪れ、儒学者、広瀬淡窓が文化年間から幕末にかけて教えていた私塾を訪問しています。門人を励ました詩の一節「君は川流(せんりゅう)を汲(く)め我は薪(たきぎ)を拾わん」という言葉は、まさに葉室さんらしい。群れたがる人じゃないんです。共に進もうという心。

《ここで、後輩の作家仲間として、会場にいた澤田瞳子さんが促され、壇上へ》

澤田:わたしも3年ほど前に、葉室さんと出会いました。お酒は呑めないのですが、電話魔の葉室さんに突然声をかけていただき、朝の5時までご一緒したことがあります。お酒だけでなくて、甘いものもお好きでした(笑)。

朝井:人と人を引き合わせる方でしたよね。君はあの人に会っておくべきだ、と電話で説得されたことも(笑)。

東山:その強引さでぼくら3人は知り合いになれました(笑)。

澤田:明治150年を深く意識されていたことが、すごく印象深いです。大久保利通や西郷隆盛の話をされ、今という時代の歪みは、明治から始まるものであると。病気で体調を崩され、わたしが葉室さんの代わりに、解説文を書かせていただいたこともありました。あれでよかったのかと思いますが、ぼくの明治維新についての考えは澤田にすべて話しているから、と言ってくださって。

東山:ぼくも機会をいただきました。幕末を舞台にした『夜汐』という、初の時代小説を刊行したのですが、その連載開始の頃、背中を押してもらいました。ぼくの国籍は台湾なのですが、「東山さんみたいな人が日本の歴史を書けば、アジア的な広がりが出る」と。日本の近代や現代を、葉室さんのように歴史の観点から相対化してみたいです。

朝井:わたしも葉室さんに教示を受けて、日本の近代化とは何だったのか、を考え続けています。皆、それぞれ書くべきものを書くだけですが、志を受け継ぐことはできる。昨今、言葉の力が弱くなったと言われますが、葉室さんは(言葉の力を)信じていたし、わたしも信じています。自分なりに書き続けることで、葉室さんと、そして歴史と対話し続けたいと思います。

(構成/朝日新聞文化くらし報道部・木元健二)

週刊朝日  2018年12月14日号