だが本書には、ケストナーが描いたような明るく前向きな少年少女は出てこない。アウグステら4人は、いずれも戦中戦後の混乱で心に傷を負っていて、物語が進むにつれ過酷な体験が明らかになっていくのだ。

 本書は、クリストフ殺しの謎とエーリヒの居場所を調べる現在のパートと、ナチスがワイマール体制下のリベラルな空気を一掃した歴史をカットバックしながら進む。世界恐慌を背景にナチスが台頭し始めた頃に生まれたアウグステは、子供を狙った猟奇的な連続殺人犯がユダヤ人とされたり、障害を持つ近所の子供がナチスに連れて行かれたまま帰ってこなかったりした現実を見て育った。

 祖国の純粋性を守るため、異なる人種・民族・宗教、心身に障害を持つ人、(現代的にいえば)LGBTなどを排斥したナチスの思想は、現代の日本をはじめ全世界的に復活しつつある。それだけに、灰燼に帰した祖国を前に、政府の暴走を傍観してしまった過去を悔いるドイツ人の姿は、重く受け止める必要がある。

 アウグステの愛読書が『エーミールと探偵たち』なのも、著書がナチスの焚書の対象にもなったケストナーの名作を、レイシズム批判の象徴にするためだったように思えてならない。アウグステが、英訳本をきっかけに外国文学に親しみ、異文化との共生が可能であることを学んだとされているところは、硬直化した思考をときほぐす読書の重要性に改めて気づかせてくれるはずだ。

 やがて事件とは無関係に思える何気ない記述が重要な伏線になり、意外な真相が明かされる。思わぬところに手がかりがあり、だまし絵のように見ていた構図が反転する本書の仕掛けは、耳に心地よい美辞麗句を疑い、情報の裏を読むことの大切さを教えてくれる。トリックとテーマが密接に結び付いた本書を読むと、価値観が揺さぶられるだろう。

週刊朝日  2018年11月2日号