物理の秀才・広瀬健一が麻原の「浮揚」を信じた瞬間 <教団エリートの「罪と罰」(5)> (2/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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物理の秀才・広瀬健一が麻原の「浮揚」を信じた瞬間 <教団エリートの「罪と罰」(5)>

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「浮揚」信じた物理の秀才
 広瀬健一死刑囚 (C)朝日新聞社

「浮揚」信じた物理の秀才  広瀬健一死刑囚 (C)朝日新聞社

東大卒の豊田亨死刑囚 (C)朝日新聞社

東大卒の豊田亨死刑囚 (C)朝日新聞社

 まじめな性格が災いし、教団では次第に危険な思想に染まっていく。教団の反社会的な側面を知った時は、

「我々は極めて危険なことをやろうとしているのではないか」

 と思ったというが、教団幹部の村井秀夫に、

「危険なことはやりたくない、と考え、尊師の指示に従わないのは自分の煩悩であり心のけがれである」

 などと言われて疑念を封印してしまった。

 地下鉄サリン事件では、実行犯として地下鉄日比谷線恵比寿駅でサリンをまいた。その後も東京・新宿青酸ガス事件や、東京都庁小包爆弾事件などに関与し、4件の事件で起訴された。

 法廷では、教祖を批判することが多かった他の信徒に比べて感情を表に出さず、寡黙に振る舞った。その点について問われると、

「これ以上、多くの方に不快な思いをさせる行為は慎まなければいけない」

 と語った。2009年11月、上告が棄却されて死刑が確定した。

■「浮揚」信じた物理の秀才
<広瀬健一(ひろせ・けんいち)>

(1)生年月日:1964年6月12日
(2)最終学歴:早大大学院理工学研究科
(3)ホーリーネーム:サンジャヤ
(4)役職:科学技術省次官
(5)地下鉄サリン事件前の階級(ステージ):菩長補

 物理学の秀才は、科学の法則より教団の「奇跡」を信じ、破滅への道を歩んだ。

 小学校時代から剣道に打ち込み、明るく温厚で勉強熱心。通知表に「包容力 統率力 絶対的な信頼」と書かれる優等生だった。

 1987年春、早大理工学部の応用物理学科を首席で卒業し、同大大学院修士課程で超伝導を研究。同年6月、担当教授と連名で作成した論文を京都の国際会議用に送ったが、認められなかった。

 この“挫折”が影響したのか、次第に瞑想などにのめりこんだ。自身の体験談によれば、88年3月、教団の書籍を読んでいる時に、「『バーン』と、突然発破を仕かけたような爆音が体を走りぬけた」

 そのため、オウム真理教のヨガ道場に通い始め、同年10月には内定していた大手電機メーカーの研究所への就職を断って出家。


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