これまでの日本であればそれでよかった。というより、それしかやりようがなかった。日本が弱小国で、自分たちが目指すべきスタイルを自覚していなかった以上、そうするより他にはなかった。

 だが、ロシアでの日本代表が史上初めて日本人気質や日本社会に即したサッカーを展開し、それが熱狂的な支持を受けたいまは違う。どれほど優秀な実績を残した監督であっても、指向する方向性が日本の目指すものと違うのであれば招聘すべきではないし、招聘にあたっては日本の目指すべき方向性を強く、そして明確に伝えなければならない。ボールを保持するサッカーが上手くいかないから、じゃあやめた……などということは、断じてあってはならない。

 過去の監督選びでは、ワールドカップを経験しているか否かという点も重視されてきたが、これもそろそろ優先順位を落としてもいいかもしれない。日本を破ったベルギーのロベルト・マルティネス監督には、選手としても指導者としてもワールドカップの経験がなかったが、そのことが何かマイナスだっただろうか。選手が世界を知っているのであれば、もはや問題はないとわたしは思う。

 むしろ重要視すべきは、メディアやファンからの重圧を経験しているか、ではないか。思えば、ハリルホジッチ前監督に決定的に不足していたのはこの点だった。

 隣の芝生が青く見えるのは洋の東西を問わないが、他国での成功を羨み、二匹目のドジョウを日本で……という監督選びは、もう終わりにしなければならない。これからの日本に必要なのは、日本の芝生の青さを信じる指導者である。

週刊朝日  2018年7月27日号