きっかけは妻の胃けいれん? 元プロ野球選手が押した魔法のツボ (1/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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きっかけは妻の胃けいれん? 元プロ野球選手が押した魔法のツボ

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渡辺勘郎週刊朝日

平野謙(ひらの・けん)(左)/1955年、愛知県生まれ。犬山高校から名古屋商科大学を経て、ドラフト外で中日に入団。大学時代は二刀流で、投手以外に外野手、4番も務めた。プロでは投手から外野手に転向。“俊足・犠打・好守”でリーグを代表する選手となり、88年に西武に移籍。2番打者として黄金時代を支えた。94年にロッテに移籍。96年に引退後はロッテのコーチや2軍監督、日本ハムや中日のコーチ。現・群馬ダイヤモンドペガサス監督。平野清美(ひらの・きよみ)(右)/1965年、埼玉県生まれ。高校時代にホリプロスカウトキャラバンに出場。当初は本名の橋本清美で「レッツゴーヤング」(NHK)などに出演。85年に秋本理央の名で歌手デビューした。中日ファン向けの番組のアシスタント時代に夫と出会い、結婚。現在は東京・西荻窪の自宅で、お花の教室「ヴェルデュール」を開き、空間プロデュースも手掛ける。長男の平野潤也は演劇集団円所属の俳優。(撮影/加藤夏子)

平野謙(ひらの・けん)(左)/1955年、愛知県生まれ。犬山高校から名古屋商科大学を経て、ドラフト外で中日に入団。大学時代は二刀流で、投手以外に外野手、4番も務めた。プロでは投手から外野手に転向。“俊足・犠打・好守”でリーグを代表する選手となり、88年に西武に移籍。2番打者として黄金時代を支えた。94年にロッテに移籍。96年に引退後はロッテのコーチや2軍監督、日本ハムや中日のコーチ。現・群馬ダイヤモンドペガサス監督。
平野清美(ひらの・きよみ)(右)/1965年、埼玉県生まれ。高校時代にホリプロスカウトキャラバンに出場。当初は本名の橋本清美で「レッツゴーヤング」(NHK)などに出演。85年に秋本理央の名で歌手デビューした。中日ファン向けの番組のアシスタント時代に夫と出会い、結婚。現在は東京・西荻窪の自宅で、お花の教室「ヴェルデュール」を開き、空間プロデュースも手掛ける。長男の平野潤也は演劇集団円所属の俳優。(撮影/加藤夏子)

 夫・平野謙さんは、中日から西武に移籍し、その黄金時代の2番打者として活躍した元プロ野球選手で、現在はプロ野球独立リーグ(BCリーグ)で監督を務める。妻・清美さんは元タレントで、フラワーアレンジメント教室を開く。出会いは、夫が現役、妻がホリプロの新進タレント時代。妻が中日ファン向けの番組のアシスタントをしていたことがきっかけだった。

*  *  *
妻:私はあまり野球に興味がなかったから、チームの中ですてきな男性を見つけて応援するというスタンスでした。平野選手を応援してたんです。そしたら彼が出演したとき、いつもと番組内容が違って……。

夫:そうだったの?

妻:初めて選手への一問一答をして、「好きな女性はどんな人?」と私は聞いた。

夫:俺は、ほとんどあなたを見て答えてた。

妻:それまでは、アシスタントの私が質問することなんてなかったの。

夫:知らなかった。

妻:その番組の司会進行の鈴木ヒロミツさん(故人)と中日OBの権藤博さんに「こいつはやめておけ」とか言われててね。


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