加害者の名前と顔を報道するのはわかる。そういう罪を犯したのだから、罪を世に知らしめることも、大事だと思う。加害者の家族や親戚は、それがテレビなどで報道されることにより、つらい思いをするかもしれないが、罪を犯すというのはそういうことだ。だからこそ、罪を犯してはいけないのだということを学ぶしかない。

 だけど、被害者は別だ。命を奪われた上に、顔も名前もさらされる。もし自分が親だったらそれを望むだろうか?

 被害者の親たちは、それを望んできたのだろうか? しかも、未成年の子供の写真も公開されてしまう。

 報道する前に、警察が親族に許可を取るならばわかる。顔や情報を公開してもいいかどうか? それを踏まえて公開するなら、親族なりに何かの意味を持って公開するのだろう。

 座間市の事件で、被害者の顔が並べられていく。事件の悲惨さを伝えるには意味があるのかもしれない。だけど、あれを公開したことで、再び傷つく親族もきっといるはずだ。

 よく、テレビ局の中で「報道だからOK」という言葉も耳にする。

「これはバラエティーではなく、報道だ」「これは情報ではなく、報道だ」

 報道ってそんなに偉いのか? 報道って誰かを傷つけてもいいのだろうか?

 そうなるとそれってある意味、必要悪にも近くなってるなと感じてしまう。

 これは自分が親になったからこそ感じることなのか? どうなのか?

 今までの普通が普通じゃなくなることってもっとあっていいと思う。

週刊朝日 2017年12月1日号

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鈴木おさむ

鈴木おさむ

鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。

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