安田講堂、ベトナム反戦…「1968年」が今も投げかけられる「問い」 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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安田講堂、ベトナム反戦…「1968年」が今も投げかけられる「問い」

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鮎川哲也週刊朝日
1969年1月19日、安田講堂を占拠した学生は、排除行動に出てきた機動隊に投石と火炎ビン攻撃で応酬した 写真=朝日新聞社

1969年1月19日、安田講堂を占拠した学生は、排除行動に出てきた機動隊に投石と火炎ビン攻撃で応酬した 写真=朝日新聞社

「これを機に、全共闘の闘いは終焉に向かうことになったのです」

「1960年代後半の運動は、ほとんどが個人原理のものだったのです。私はこう考える、だからこうしてほしい、そういう考えに起因しているのです」

 荒川さんはこの時代の社会運動の特長をそう話す。そして、個人個人の問題が横に緩やかにつながって大きく展開していったと続ける。

 ベトナムに平和を!市民連合(べ平連)の運動は、米軍基地が日本各地に造られ日本が戦争に協力する体制になっていくことや、弾薬やジェット燃料の輸送に国鉄が使われることなど、戦争が遠い国のことではなく、すぐ隣にあることへの反対であった。

 また、三里塚闘争は千葉県の新空港建設反対から始まったものだったが、農業・農村に生きる人々の尊厳、さらには民主主義における人間の尊厳などの問いを投げかけ、その後に続く公共事業の計画について住民の意思決定や公共性とは何かを考えるきっかけにもなった。

 そして荒川さんはこうも話す。

「あれから約50年経ちました。あのときの問いのいくつかは、今も投げかけられ続けていると思います。今回の展示がそのことを考えるきっかけになればとも考えています」(文/本誌・鮎川哲也)

週刊朝日  2017年11月10日号


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