2004年に軽演劇の灯を絶やしたくない思いで、師と仰ぐ伊東四朗さんと「伊東四朗一座」を立ち上げた。伊東さんが参加できないときは、“伊東ならぬ熱海”“四朗ならぬ五郎”で、「熱海五郎一座」と称す劇団で公演を続けている。二つの劇団を合わせ、年に2本のペースで新作を上演していることに。

「一年中、暇さえあれば舞台のことを考えていますね(苦笑)。何か企画を持ち込まれると、そのときは『ちょっと違うかな』と思っても、いつか使えるかもしれないから、企画書はとっておく。でも60歳で大病をしてからは、仕事人間じゃなく、健康人間になりました(笑)。早寝早起きを徹底して、酒の量を減らし、食事に気をつけるようになって、10キロ痩せましたから」

 6年前、脊柱管狭窄症とヘルニアが悪化して、緊急手術をした。半年間のリハビリを経て、仕事復帰したが、回復までを支えたのが妻だった。

「実際は、かなり深刻な病状だったみたいなんですが、女房は、『大丈夫、2週間で治るから!』って。何の根拠もないのに(笑)」

 三宅さんは今、テレビの撮影で行ったことのない地方へ行き、地元の人たちと触れ合うことが何より面白いという。曰く「会う人会う人、みんな魅力的。笑顔がいい。結局、“人”が一番面白いんです」。

 東京喜劇を追求してきた三宅さんは、誰かに会うたびに笑顔を引き出し、誰の人生にも、喜劇を見つける。(取材・文/菊地陽子)

週刊朝日 2017年10月20日号