西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。帯津氏が、貝原益軒の『養生訓』を元に自身の“養生訓”を明かす。

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【貝原益軒 養生訓】(巻第一の18)
人の身は百年を以て期(ご)とす。上寿(じゅ)は百歳、中寿は八十、下寿は六十なり。六十以上は長生なり。

「人の身は百年を以て期とす」(巻第一の18)

 期とは期限、最期の意味です。つまり、人の寿命は100歳が上限だと言っているのです。最近の日本では100歳を超えて活躍する人が増えてきて注目されていますが、まあ、現代でも100歳程度が上限といえます。江戸時代にして100歳までは生きられると語った益軒は、さすが人の寿命のことがよくわかっていました。

 そして「上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十なり。六十以上は長生なり」(同)と続けます。80歳と60歳は確かに節目ですね。私も80歳を過ぎて、新たな地平が開けてきた気がしています。江戸時代の人たちの寿命は正確にはよくわかりませんが、益軒は、「世上の人を見るに、下寿をたもつ人すくなく、五十以下短命なる人多し」(同)と言っています。

 織田信長が京都本能寺で明智光秀に襲われて自刃(じじん)する前に舞ったという幸若(こうわか)舞曲の「敦盛」に、

「人間五十年、化天(けてん)の内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり。一度生をうけ滅(めっ)せぬ者のあるべきか」

 とありますから、その頃は人生50年と考えるのが普通だったのでしょう。

 李白と並ぶ中国の詩人、杜甫(712~770)が詠んだ「曲江(きょくこう)」の一節はこうです。

「酒債(しゅさい)は尋常、行く処に有り。人生七十古来稀(まれ)なり」

 酒の借金はいつも行くところ、どこにでもある。だが、人生は短く、70歳まで生きた人はごく稀なのだ。生きている間は酒を楽しもうではないか、というのです。いい詩ですね。「七十古来稀なり」というのは、そこまで生きれば十分だということでしょう。

 益軒は「五十以下短命なる人多し」に続けて「50になっていれば不夭(ふよう)といって若死(わかじ)にとはいわない。人の命はなぜこんなに短いものなのか。これはひとえに養生の術がないからだ。短命は生まれつきのものではなく、10人に9人は自分で命を縮めている。養生の大事さがわかるというものである」(同)と語っています。また「人は50歳にならないと後悔することも多く、人生の道理も楽しみもわからない。50歳にならずに死ぬのは不幸である。いかにしても50歳を超えて、60歳以上になるべきである。人の命は我にあり、天にあらず、といわれている。人の力によってどうにでもなるのだ。それを疑ってはいけない」(巻第一の19)とも説いています。

「青雲の志」という言葉があります。立身出世を目指す意味で使われることが多いのですが、それだけでなく辞書には「聖賢(せいけん)の人になろうとする志」とも書かれています。私はこの言葉が好きで、私自身も青雲の志を持って生きてきたつもりです。しかし、聖賢の人になるには、どのくらい寿命があったらいいのでしょうか。80歳を過ぎましたが、まだまだ、聖賢の人にはほど遠いのです。だから、最近はこう思うようにしています。あの世に行っても青雲の志を持ち続けよう。私の老後は死んでからです。

週刊朝日  2017年9月1日号

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帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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