ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「病み社会」を取り上げる。

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 思い悩んだり、病んだりすることは、今や何の躊躇(ちゅうちょ)も後ろめたさもなく堂々と胸を張れる行為になりました。それらを及ぼす原因と結果が理論的に実証・解明され、名前が付けられ、同時に『世間や周囲の理解とサポート』は当然の正義となり、いつの間にか『弱者の不具合』を主張することは、絶対的な武器になり得る世の中になった感があります。これは『もうひとりで悩まなくても大丈夫』という思いやり精神が浸透した証でもあるわけで、とても良い傾向だと言えるでしょう。

 一方で、己の弱みは内に秘めてこそ美しく、むしろその方が周囲に伝わると、どこかで信じている節が私にはあります。しかしそれでは『闇』や『病み』が深刻化し、手遅れもしくは取り返しのつかない状況に陥る人が増えてしまうというのも事実ですし、すべての事例にこんな綺麗事のような哲学もどきが当てはまるとは思っていません。だとしても、『弱さ・弱み』を振りかざし、理解を求め、権利を主張し過ぎるのは、結果的に人間や世の中の地肩を弱くしてしまうと思えてならない。何かのせいにし続けるのは簡単なことですが、自分で自分を『弱者認定』してしまうって、なかなかリスキーだと思うのです。特に肩書やカテゴリーが明白な現代社会においては、一度レッテルを貼られたら最後。一生「あの人は病んでるから」とか「あの人はおかしいから」といったひと言で片付けられ、『個性や特性は尊重するし、表立った差別はしませんが、その代わり棲み分けもきっちりとさせて頂きます』という正当な規約によって、社会的な隔離精神はより一層ドライで非情なものになっている気がします。『病むことを恐れない、我慢しない、隠さない』というポジティブな傾向によって、簡単に病んだり壊れたりする人は増え、被害者意識と攻撃性ばかりが高まった結果、闇や溝はさらに深まるという悪循環。要は今の世の中『取り乱した者負け』なのです。

 
 インターネットやSNSの普及によって、感情や環境の主張はしやすくなったかもしれませんが、今一度噛み締めるべきです。「果たしてこれは本当に、どうしても伝え共有されなければならないことなのか?」と。本当に発信されなくてはならないSOSと、そうではないSOSが同等に扱われてしまう恐ろしさ。本当に同情されなくてはならない病みと、そうでもない病みが一緒くたに事務的にファイリングされてしまう、そんな鈍感な世の中で保障される個性や平等や自由など、いったい何の意味があるのでしょうか?

 一方的に取り乱した結果、世間からは格好の餌食になる。そんな話題が多過ぎて、ともすれば『一億総貰い病み』のスパイラルに陥っている印象すらある昨今。私とて、情緒が安定しているとは決して言えないタイプですし、常に引け目と卑屈さを全身で感じながら生きている人間故に、結局は何が言いたいかって、泰葉さんも松居一代さんも勿体無いなということ。

 ああいう『危なっかしい人』がいるからこそ、この世は面白いのに、全部詳(つまび)らかにされてしまったら眉をひそめるしかできないじゃないですか。また、眉をひそめて『自分は安全地帯にいます』アピールに余念のない世間にも辟易します。そしてそんな私もまた勝手に病んでいるのかもしれません。

週刊朝日  2017年7月28日号

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ミッツ・マングローブ

ミッツ・マングローブ

ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する

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