神野:劇中映画「その砂の行方」の台本が素晴らしかった。相手役の藤竜也さんとのやりとりの一行一行から、2人の現在だけでなく過去も未来も感じ合えました。比喩ではなく、本当に鳥肌が立ちました。魂を持っていかれちゃった。

河瀬:まず浜松の砂丘で「その砂の行方」から撮影がスタートしたんですが、藤さんと神野さんとの時間がすごくよかったんです。

神野:時江の最後のカットを撮り終わった時にね、「嫌だ~」って叫んだんです。監督が「嫌や、言うとるで」と言うので、「帰りたくない~」と駄々をこねました。そしたら智子という役がきまして、その後の奈良の撮影にも参加出来ました。

河瀬:時江と智子を同じ人が演じるのは、神野さんがいたから生まれた発想でした。映画を大好きな女優が、それを目の見えない人にも伝えたい、と思う。2役にして、すっごくテーマが深まった気がします。

――河瀬監督の撮影現場はどんなでしたか。

神野:あ、白雪姫と七人のこびとみたいだな、と思いました(笑)。監督が急に「こうしたいねん」と突拍子もないことを思いつくでしょ。すると、スタッフがワアッと集まってきて、監督の世界を実現させようと、うれしそうに頑張るわけですよ。一体なんなのだと(笑)。すごく自由で豊かで。ここにずっといられるなら、現実に戻れなくてもいいとさえ思ったほど。

――河瀬組の俳優は演じるのではなく、撮影の間ずっと、役として生きることを求められると聞きます。それはとてもハードなことである、とも。逃げ出したくはならなかったですか。

神野:ええ。俳優の皆さんも奈良に実際に住んで撮影されていました。でも智子役は急に決まったから、私はスケジュールの都合で離れなくてはいけないことがあって、それが悔しかったです。河瀬組のやり方を知っていたら、もっともっときちんとやりたかった。

河瀬:私が頼んだことを120%体現しようとしてくれるので、絶対の信頼があった。でも、入り込みすぎて周りが見えなくなる時がある。「うわーっ」となって「出来ない~」ってなる。あるシーンなんか、恐怖のテイク二十なんぼ(撮り直しのこと)ということがあったよね。でも、出来なかったことは一度もなかった。出来るのが前提なんです。

神野:とても愛されているな、と感じました。こんなに愛にあふれている人に会ったことがない。深い山の中に入ったり、大きな海の前に立ったり、あるいは風を肌で感じたり、きれいな花を見たり、そうした時に癒やされる何かってあるじゃないですか。それに近い。監督自身が「光」だった、というか。

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