ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は木嶋佳苗被告から垣間見えた「ありのまま」の危険性を説く。

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 何年か前に『ありのまま』というフレーズが流行りましたが、私はあれが嫌いでたまりませんでした。と言っても、映画自体(ちゃんと観たことはないけれど)が嫌いなわけではなく、作品と楽曲のヒットに端を発した『自分の好きなように生きりゃいいじゃん』的な、実に傲慢な正義を祭り上げた世間のメンタリティーが嫌いなのです。

 世の中、体裁や体面を繕って格好つけるから粋で美しいわけで、見栄やしがらみから『解放されたい』などと望んだ瞬間、私の人生『負け』だと思いながら生きています。これは私にとっての『アイドル理論』でもあり、アイドルが好きでアーティスト系が苦手な理由でもあります。自分や他人から課せられた使命や役割、天から与えられた格差や限界、できれば棚に上げたい不平・不都合・不条理といったあらゆる弱さを受け入れた上で勝負することが、本当の意味での『ありのまま』だと思うのです。自分らしさやこだわりなんてものは、その先です。

 さて、こちら週刊朝日も何度も取り上げた木嶋佳苗被告の裁判が、いよいよ終わりを迎えようとしています。なぜ世間は木嶋佳苗に惹かれてしまうのか。そんな記事を今までも散々目にしてきましたが、まさに『ありのまま』で勝負をしているからではないでしょうか。『ありのまま』を受け入れた人というのは、虚栄を張る努力と工夫を惜しみません。だからこそ、自分ならではの強みや得意分野を見つけることができる。無論、木嶋佳苗の勝負の仕方は間違っていましたが、なんとなくやり過ごす先にある幸せばかりが染み付いてしまっている一般社会からすれば、自分に盲信・邁進してしまえる彼女の逞しさや厚かましさは、少し羨ましく見えたのかもしれません。

 
 さらに彼女は、『得』ではなく、徹底的に『勝ち』にこだわっていました。しかもその『勝ち』が、金と愛とセックスだった。言わば『究極の煩悩=ありのまま』を貫いた女。そこに殺人を犯す必然性などありませんが、それぐらいの気概がなければ到達できない境地なのは確かで、だから人は『ありのまま』に憧れるわけで、だからこそ『ありのままがイチバン!』なんて軽はずみに言うものじゃないと思うのです。

 さて、ここへきて木嶋被告の『達筆さ』が話題になっていますが、やはり『字』って大事なのだとつくづく感じました。彼女のマーケティング的には正解の字だったとしても、あれでは世の男性の8割が警戒もしくは興醒めしてしまうでしょう。夜通し妄想小説かポエムを認(したた)めていそう。ターゲットの男性たちとのやりとりは、もっぱらメールだったそうなので、あの字がどう影響したかは分かりませんが、異様なまでに不自然な『上手さ』は、却って彼女の必死さと危なさと胡散臭さを浮き彫りにしてしまっているように見えます。それぐらい『ありのまま』が出てしまうのが『字』です。

 あと、獄中で書いた自伝のタイトルが『礼讃』。これもなかなかの痛さを帯びています。そう、『ありのまま』というのは、往々にして『痛い』もの! 24時間365日、『自分の中にいる誰か』に魂を捧げ己を律する。そしてそれらをすべて『務め』だと言い切る勇気と覚悟を持てれば『礼讃』に値するのかも。こんな私の自伝タイトルも『うらやましい人生』だなんて、痛いのは重々承知している次第です。

週刊朝日 2017年5月5-12日号

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ミッツ・マングローブ

ミッツ・マングローブ

ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する

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