西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は、今季から西武を率いる辻新監督について語る。

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 一生の宝物になる体験になった。4月4日。私が在籍した西武の本拠地開幕戦となるオリックス戦の試合前セレモニーで娘の理子、孫の理汰郎と親子3代の始球式をさせてもらった。これまでの野球界で、こんな貴重な体験をさせてもらった野球人はいたかな。今年から球場名にもなっているメットライフの方々、西武球団に感謝申し上げたい。

 理子は本当にうれしそうだった。父親がかつて投げていた球場のマウンドから始球式ができて感激していたな。そして理汰郎。一生懸命投げていた。私としても、野球の仕事をしている私の姿を実際の目で見せてあげることができた。

 理子と理汰郎はスタンドから観戦した。その経験は4歳の孫にとって大きいものとなるだろう。これだけ多くの人が野球を見に来てくれることを知っただけでも貴重だと思うよ。

 前日には少しは練習しようとキャッチボール場所を探したが見つからない。あらためて子どもたちが野球をする環境が身近に減っていることを痛感した。近場の公園もすべてキャッチボール禁止となっているし、小学校などのグラウンドは在校生でないと利用しづらい。そんなことも感じながらの始球式だった。

 私事の話はここまでとして、西武は3月31日の開幕・日本ハム戦(札幌ドーム)で素晴らしい勝ち方をした。単なる1勝ではなく、こうやれば得点できるという成功体験を得られたのは大きい。これこそ辻新監督のやりたい野球なのだろうと思うのが、二回の先制点に見えた。1死二、三塁から木村文の遊ゴロで三塁走者の中村は投球の瞬間に第2リード(リードに続き、投球の後に2、3歩ステップすること)をしっかりとり、バットに当たった瞬間に完璧なスタートを切った。捕手のミットをよけるスライディングといい足で1点を奪った。4番打者にまで走塁の意識が浸透していると感じたよ。

 
 2点目も同様だ。1死一、三塁でカウント2ストライクからランエンドヒット。併殺を防ぐ意味合いのスタートだろうが、炭谷は内角低めの球を絶対に空振りしないように、右方向へと転がした。この回は1安打で2得点した。

 西武は近年、打ち勝つしか引き出しがなかったが、得点の取り方は一つではないと痛感したのではないか。守備でも三回2死一塁から大谷の右翼線二塁打で、一塁走者で俊足の西川はスタートを切っていたにもかかわらず、完璧な中継プレーで失点を防いだ。どうやって1点を取り、1点を防ぐか。辻監督が現役時代に培った西武黄金時代の野球の片鱗(へんりん)が見えたよね。

 辻監督は社会人の日本通運時代は強打者だったが、西武入団後は広岡監督に徹底的に右打ちを覚え込まされた。1987年の巨人との日本シリーズで、中前打で一塁から一気に本塁に生還した伝説の走塁が頭に浮かぶが、隙を突き、次の塁を奪う集中力があった。そして、投手の配球によって守備位置も意図を持って変えた。走攻守すべてに一球にこだわってきたのが辻監督だ。

 もし、こういう野球でシーズンの中で勝ち星を五つ拾うことができたらAクラス入りが狙える。1年間、この野球を貫いてほしい。

週刊朝日2017年4月21日号

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東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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