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子孫が語る刀剣と秘話 二人の父の形見となる立花宗茂を守護する刀

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週刊朝日#歴史

「刀剣は国宝や重要文化財などの美術品として見られていますが、私にとっては、先祖に思いを寄せるための遺品です」 (※写真はイメージ)

「刀剣は国宝や重要文化財などの美術品として見られていますが、私にとっては、先祖に思いを寄せるための遺品です」 (※写真はイメージ)

 北原白秋が、「水郷柳河こそは、我が生まれの里である。この水の柳河こそは、我が詩歌の母体である」と詠んだ福岡県柳川市にある「立花家史料館」は、歴史ある文化ミュージアムだ。そこには立花家500年にわたる文書、武具甲冑(かっちゅう)等およそ5千点に及ぶ文化財が収蔵されている。

 その立花家の2代目当主が、豊臣秀吉をして「剛勇鎮西一」「東の本多忠勝、西の立花宗茂 東西無双」と、武勇を讃えられた立花宗茂だ。

 宗茂は秀吉の九州平定の後、筑後国柳川に13万2千石を与えられた。しかし、武将としての宗茂を高く評価していた秀吉亡き後の関ケ原の戦いで、西軍に与(くみ)したために改易される。所領を没収され流浪する宗茂は、徳川幕府に取り立てられて陸奥国棚倉1万石の大名に返り咲く。関ケ原から6年の月日が過ぎていた。さらに14年後の元和6(1620)年、柳川10万9千石を与えられ、旧領に戻った。

 関ケ原で改易された武将が再び「大名」として復活できた例は少なく、その中でも旧領に戻ることができたのは立花宗茂ただ一人だ。これも、宗茂の生まれ持った人品と武将としての誉れゆえなのだろう。

 宗茂は武人としてだけでなく文化人としても優れ、細川忠興は息子の忠利に「数寄のことは宗茂を見習うこと」と書き記している。文武両道の武将だった。その宗茂の愛刀は「長光」。長光は実父・高橋紹運が宗茂を立花に養子に出す際に贈ったものだ。

 立花家17代当主の立花宗鑑(むねあき)さんがこう語る。

「高橋との戦いになったら、その刀で真っ先にわしを討て、もし打ち損じたら、その刀で自害せよと宗茂に伝えたそうです。そこに紹運の覚悟を感じます」

 さて「長光」を作刀した備前長船長光だが、備前長船派創始者の刀工・光忠の子で、備前長船の名を隆盛させた名刀工のひとりだ。

 宗茂は、養父・戸次道雪からも刀を贈られている。それは兼光(刀 無銘 兼光)である。


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