ミッツ・マングローブ「男を食わない小島瑠璃子型キャリアウーマン」 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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ミッツ・マングローブ「男を食わない小島瑠璃子型キャリアウーマン」

連載「アイドルを性せ!」

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ミッツが語る「小島瑠璃子型キャリアウーマン」とは(※写真はイメージ)

ミッツが語る「小島瑠璃子型キャリアウーマン」とは(※写真はイメージ)

 ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「小島瑠璃子」を取り上げる。

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 凄まじいと言えば小島瑠璃子です。彼女を観ていると『活躍』よりも『重宝』という言葉が浮かぶのですが、『こじるり重宝』の肝とは何か? 例えば90年代、グラビア界から司会業にまで昇り詰めた蓮舫さんと比べても、賢さと拙さの押し引きが非常に上手。男社会の賜物であるテレビ業界において、その上手さも含めて『賢い』人が重宝されるのです。こじるりの醸す『どうにもならない小娘感』は、まさに天賦の才でしょう。男は蓮舫には警戒しても、小娘には警戒しません。だからと言って、男に媚びるような女にはデレデレするだけで、決して仕事人として信頼はしないのです。こじるりの場合、その『男性脳力』を凌駕するほどの『計算してない小娘感』が、信頼と安心感のバランスを取っているわけで、そりゃ重宝されるに決まっています。

 この年末には、シレッと『日本有線大賞』の司会まで務めた23歳。高橋英樹さんの横で、和装で佇む彼女の姿は、余りにも小さく、こんな子供みたいな女が、どんなに恙無(つつがな)い司会進行をしようと、観ている視聴者も、使う制作側も、何の警戒心も抱くことはないでしょう。もしこれが、現代社会における女性の立ち回りとして正解なのだとしたら皮肉なものです。かつて女性の社会進出が限られていた時代に、テレビを捌いていたのは、黒柳徹子さん、芳村真理さん、楠田枝里子さんら、言わば『浮世離れした怪物たち』でした。やがて男女雇用機会均等法が施行され、キャリアウーマンの戦場も広がると、先の蓮舫さんや安藤優子さん、そして山口美江さんといった『男を食う女』が活躍しました。そんな女性たちの活躍により、男社会は萎縮し、改めて痛感した。「デキる女は邪魔だ」と。さらに『男を食う女』たちは、同性からのやっかみも買う羽目になり、いつしか女性は程良く幼く、程良く拙く見せて男の警戒心を和らげることが最重要課題になってしまいました。

 話を小島瑠璃子に戻します。先の『有線大賞』で、過去の受賞曲を振り返るVTRコーナーがあったのですが、それを受けてのコメントが秀逸でした。「私でも歌えるような曲ばかりですね」と。まあ、よくありがちなコメントではありますが、これを有線大賞の司会のポジションで言い放つ彼女の天然さです。もちろんこの「私でも」は、「(こんなに若い)私でも」を意味しているのは明白です。視聴者の大半は中高年の女性、もしくは中高年のオカマだと思われる番組で、いわゆる『デキる女』だったら自重する一言を、彼女には言えてしまう拙さがある。お茶の間の中高年たちは一斉に「黙れ! この小娘が!」と突っ込んだことでしょう。しかし、この隙がないと今はダメなのです。計算して、『若さアピール』を飲み込めてしまう女は、「可愛くない」と見做される。しかもこのベタな『世代アピールコメント』は、今のテレビ的には大正解なのです。制作側は「頂きました」状態。彼女のように、制作の意図を無意識に読み取る力を発揮し過ぎることは、制作側の創造力(クリエイティビティ)を低下させる危険性があります。『正解』さえ使っておけば下手は打たないという意識の蔓延は、『当たり障りのない一辺倒な世界』を作ってしまう。そんな鈍感な男社会を手のひらで転がすかのごとく、こじるりは粛々と『デキる小娘街道』真っしぐらなのです。

週刊朝日 2017年1月6-13日号


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ミッツ・マングローブ

ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する

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