作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏はサハリンに訪れてからロシアへのイメージが変わったという。
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あけましておめでとうございます。今年の目標は、ロシア料理をたくさん食べる、ロシア語で挨拶できるようになる、です。それにしてもNHKラジオでロシア語講座を聞いていると、こんな例文使うかよ?というのが出てきます。先日は「彼はお金持ちですか?」というのを練習しました。……必要ですか?
ロシアにはまったのは、友人の井戸まさえさん(ジャーナリストであり元国会議員)に誘われ、昨秋サハリンに行ったことがきっかけ。井戸さんは今、サハリン残留邦人へインタビューをしていて、その取材に同行させてもらったのだ。
戦後、サハリンに残された人の多くは、日本人女性と朝鮮人だった。戦中、家族を養うため、朝鮮人やロシア人と結婚した女性は少なくなかった。戦後になって親やきょうだいが帰国した後も、朝鮮人の夫との帰国は難しく、サハリンに残らざるをえなかった。また、当時4万人いた朝鮮人の多くは釜山から強制動員された人たちだった。帰国を許されるのは北朝鮮に戻る場合だけで、冷戦構造の狭間で、生まれ育った故郷に帰ることは長い間、許されなかった。
私は無知だった。サハリンとか北方領土とか一緒くたにごちゃっと考えていて、黒い街宣カーの方々の主戦場のようなイメージで、そもそもサハリンにどうやって行くのかも知らなかった。新千歳空港からプロペラ機でわずか1時間で行けること。レストランに入れば、メニューに当然のようにキムチが並び、ボルシチを食べる人の横で、ビビンバをかき混ぜている人がいること。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」はサハリンの旅から生まれた作品だったこと。そんなことにいちいち目をむいて驚いた。
サハリンは「遠い国」ではなかった。国家の都合で故郷を失い、家族離散を余儀なくされた人たちの物語は、女の物語であり、そして民族差別の話だった。それは、日本に生きる私たちが真剣に向かわなければいけない、今の物語だった。
ロシアのイメージが変わっていく。自由とは何だろうと考えさせられる。見なければいけないのに、見えてないものがたくさんある。その正体を掴みたくて、今年も女友だちといろんなことを語り、世界を見たい。というわけで、とりあえず、ロシア料理からいこう!という新年の誓いです。今年もよろしくお願いします。
※週刊朝日 2017年1月20日号