永六輔さんの遺影として、和服姿の20代、ラジオマイク前の50代、70代の3枚が並んだ (c)朝日新聞社
永六輔さんの遺影として、和服姿の20代、ラジオマイク前の50代、70代の3枚が並んだ (c)朝日新聞社

 今年も多くの著名人が静かに旅立った。見送った人々の弔辞や追悼の言葉には、故人の知られざるエピソードや感動秘話が込められていた。俳優でユニセフ親善大使も務める黒柳徹子さんが永六輔さんへ捧げた言葉を紹介する。

【追悼2016年に亡くなった著名人】

※8月30日、東京・青山葬儀所での「六輔 永(なが)のお別れ会」から抜粋

*  *  *

 永さんは、私の死んだときの葬儀委員長をやるとおっしゃっていらしたのに、思惑が外れて申し訳ありませんでした。永さんとは、60年間お友達でしたけど、一度も喧嘩したことありませんでした。

 永さんの亡くなる数日前に、お見舞いに行きました。寝ていた永さんに、私が「永さーん」て大きい声で言うと、「わははは」って笑って、また寝ちゃいました。しばらくしてまた、「永さーん」「わははは」。いつものラジオと同じように大きい声で笑って。そういうのを4、5回して、それでお別れしました。その次の次の日に亡くなったっていうお話を聞きました。

 今日はなるたけ楽しいお話がいいというので、永さんのお話で、してなかったことを思い出しました。夜中に原稿を書いていて、あくびを止めようと思ってガーンとほっぺたひっぱたいたら、永さん、アゴが外れました。とにかく整形外科に行こうとタクシーに乗ったら、アゴが外れると物が言えないってことに気が付かなくて、「あわわわわわ」と言ったら、運転手さんがオバケだと思って、「降りてください」って。ようやく整形外科で診ていただいて、ガーンと(アゴを)入れてもらったとき先生が、「永さんだったんですか」って。
 
 渥美清さん、(E・H・)エリックさん。永さんが作ったNHKの「夢であいましょう」の仲間は、みんな仲がよかったんです。最後に「徹子の部屋」に(永さんが)出たときも、「ここに渥美清がいればね」って言ってました。そのときは大橋巨泉さんと一緒に出てくださって。そのお二方が日を追うように亡くなってしまったことは、本当につらいことでした。
 

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