ヒッチコックは広告デザイナーだった!?(※イメージ)
ヒッチコックは広告デザイナーだった!?(※イメージ)

 “サスペンスの巨匠”として名高いヒッチコック。その創作の秘密をひもとくドキュメンタリー映画「ヒッチコック/トリュフォー」が公開されたが、その中にはヒッチコックを楽しむためのヒントがいっぱい。初心者もマニアもいま一度、ヒッチコックにハマってみませんか。(ライター 中村千晶)

■ヒッチコックは広告デザイナーだった!?

 アルフレッド・ヒッチコックは1899年、ロンドン生まれ。海洋技術専門学校に通い、1915年に技師として電信ケーブル会社に入社。その傍らロンドン大学で美術を学び、広報宣伝部に配属され、広告のデザインをしたり広告のイラストレーションを描いたりするようになる。この時代の経験が「サイコ」(60年)や「鳥」(63年)などの完璧な絵コンテを描く画力のもとになったのは間違いない。その後20年に映画撮影所に入り、サイレント映画の字幕製作を手がけ、やがて脚本や助監督を務めた。

■62歳のヒッチコックの真の評価を高めたのは30歳のトリュフォーだった!?

 多くのヒット作を生み出しながらもアメリカでは“大衆作家”として語られることが多かったヒッチコック。そんな彼に62年、「大人は判ってくれない」の監督フランソワ・トリュフォーがインタビューを申し込んだ。30歳の若き新鋭監督からの申し出に62歳のヒッチコックは「涙が出た」と快諾したという。66年にトリュフォーがヒッチコックの映画論をまとめた本『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』を発表。その内容が世界にヒッチコックを映画作家として認識させた。映画「ヒッチコック/トリュフォー」も当時の二人のインタビューをベースに作られている。

■ヒッチコックは相当な怖がりだった!?

ヒッチコックは自分を「怖がり」と認めている。恐怖の原点となったのは5歳のころ留置場に閉じ込められた経験だ。厳格だった父親がなにかの罰として知り合いの警察署長に手紙を書き、それを読んだ署長が彼を5分ほど閉じ込めてしまった。以来彼は警官が大の苦手。強盗の犯人と間違えられて逮捕される男(ヘンリー・フォンダ)を描いた「間違えられた男」(56年)はこの留置場体験に起因している。さらにヒッチコックは高所恐怖症でもある。高所恐怖症の男(ジェームズ・スチュワート)が死んだはずの美女(キム・ノヴァク)と再会する「めまい」(58年)の階段シーンの恐怖のリアルさもしかりだろう。

週刊朝日  2016年12月23日号